* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers
東京レトロフォーカス


  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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南京西路の裏道にて、たそがれる麻理子ちゃんとお疲れの猿くん。この街路には何故か病院が多かった。昔っぽい家並みの背後に高層ビルが覗くところが今の上海。
Arsenal Kiev 4 + KMZ Jupiter-8 50mmF2 FUJICOLOR NewPRO400 (PN400N) Exposure Data:1/30sec. F=8



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ライカに装着したジュピター12は麻理子ちゃんが持つキエフ用より旧型なのだけど、コントラストは勝っているように見える。35mmの外部ファインダーは写真の4型に付けっぱなし、M3はフルフレームで代用した。このとき彼女が撮っていたのはこの写真。
Leica M3 + LZOS Jupiter-12 35mmF2.8 FUJICHROME PROVIA400F (RHPIII) Exposure Data:1/50sec. F=8



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●今週のお題:
『キエフRF』
コンタックスII型とキエフ4。前者のレンズは戦前のノンコート・沈胴ゾナーである。キエフはこの4型(1958年〜)より戦後の西ドイツ製コンタックスIIaに準じた細部意匠の小改変が施された。ボトムカバーの転倒防止金具が廃されたため、三脚据え付け時の安定性は増している。(コンタックスII 機材提供=倉持伸之氏)
Nikon FE2 + Micro-Nikkor105mmF2.8 FUJICHROME PROVIA100F (RDPIII) Exposure Data:2sec. F=16

 キエフへの道 #10

 キエフを語るときの定石として、手柄はツァイスに与え、批判はすべてロシア人に向ける物言いがある。その生い立ちを考えれば無理もないところもあるけれど、こういう論調をもちいる権利があるのはドイツ人だけだろう。
 ではキエフの品質は明らかにコンタックスより劣っていたのだろうか。手元にある4台のキエフ(54年製II型、57年製IIIa型、59年製4型、64年製4a型)と、今回借用した2台の戦前コンタックス(II型・III型)を比較する限り、両者にほとんど差はないようにみえる。梨地クロームメッキの輝きや貼り革、塗装の質などドイツ製オリジナルは流石の高級感が漂うものの、各部の精度感や操作感触は選ぶところがないと思う*。
 じっさいに撮影した結果はどうか。これは完全な状態のボディ・レンズ同士でなければ比較に意味はないのだけど、4台のキエフと6本のソ連製レンズを使ってみて、その描写はきわめて高いレベルにあると断言できる。すくなくとも戦前のツァイス製ノンコートレンズ(一部にコーティングが施されたものも存在した)よりは高コントラストといえるはずだ。
 ツァイスの製造プラントをまるごと移設したから、あるいはツァイスの技術者が生産指導にあたったから品質に差がなくて当然、という意見もあるだろう。それは否定できないことだが、事実上ほとんどゼロから世界最高レベルのカメラ製造を立ち上げたプロジェクトとして、これは望外の結果といえる。なぜならキエフの生産量は戦前コンタックスのそれを上回る規模だったからだ。
 なぜキエフはここまでの完成度を得たのか。見逃せない要素として、コンタックスの構造が(凝りすぎの気味はあったものの)きわめて合理的であり、ある意味で生産管理が容易という点が挙げられる。
 コンタックスの原型たるI型が登場した1930年代の初頭、多くのカメラはマイスター(熟練職人)の勘によって造られ、調整されて市場に出た。同時代のライカなどのスムーズな作動感触はマイスターの技と切り離せないところがあり、別の職人の手で修理調整を受けると感触が変わってしまうことが多い。またライカはレンジファインダー機の生命線である連動距離計に調整箇所が多く、これはオーナーの手元で狂いを生じた場合に対処可能なファクターを織り込んでいたとも考えられる**。
 いっぽうのコンタックスは、いったん製造段階で調整を受ければあとは狂いが生じにくい構造である。メンテナンスでカメラの感触が変わることもほとんどない。また長大な棒状プリズムと旋回プリズム(I型は回転プリズム)を組み合わせた距離計はもともとの測距精度が高いだけでなく、多少の衝撃を受けても二重像の縦ズレなどはまず起こらないはずだ***。
 両機のこうした差異は1930年代のドイツでは決定的な優劣とならなかったものの、異国の地で再生したキエフには少なからぬアドバンテージとなった。職人技から脱却した近代的な生産管理システムは戦後ソヴィエトの体制にマッチしており、彼等はそれを最高の教師から学ぶことができたのだ。オリジナル・コンタックスの創造主、ハインツ・キュッペンベンダーが目指した理想の恩恵をフルに享受したのは、共産主義ブロックのひとびとだったというのは穿ちすぎた見方だろうか。

※次号はキエフ編をお休みして「脊山麻理子さん撮影の上海・蘇集特集(3)」をお送りします。

●作例モデル:脊山麻理子

*注1:キエフシリーズは小改変を受けつつ80年代後半まで製造され、一般に70年代半ば以降に生産された各型は品質が低下したといわれる(これは市場価格にも反映されている)。写真を撮るうえで大きな問題はないようだが、購入の際には注意が必要。

**注2:1930年代までのライカはシャシーに板金の折り曲げ構造を採用していたため、フランジバック(レンズマウントの基準面からフィルム面までの距離)に狂いを生じる場合があった。これに対処するため、ライカはレンズ側にも複数のワッシャーを入れてピント調整が可能な構造をとっている。コンタックスはマウントを装着する前板とダイキャストシャシーの間にワッシャーを入れ、ボディ以外の調整箇所を極力排除した構造としている。

***注3:ただしコンタックス/キエフはいったんトラブルを生じた場合、ライカより遙かに高度な調整が必要となり、修理費用も嵩むことが多い。


2003年06月25日掲載

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