* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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キエフRF編の最後は、お約束の大口径レンズで。ジュピター3は戦前ツァイスの銘玉、ゾナーF1.5の設計をソ連に移管して生産したもの。絞り開放での独特の軟調描写は残存収差に起因するもので、これを愛(め)でる愛好家も多い。ここではちょっと絞って撮った。赤坂のフレンチレストラン「レチュード」にて、例によって食べまくる麻理子ちゃん。
Arsenal Kiev II + MMZ Jupiter-3 50mmF1.5 FUJICOLOR NewPRO400 (PN400N) Exposure Data:1/25sec. F=2.8



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次回よりスタートするキエフSLR編の予告を一枚。果たして謎の火球の正体は?
Arsenal Kiev-15 + Mir-20 20mmF3.5 FUJICOLOR NewPRO400 (PN400N) Exposure Data:1/60sec. AE



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●次回のお題予告:
『キエフSLR』
充実した国力を背景に、アーセナル製カメラは一眼レフ分野への進出を果たす。その製品群は類型的な西側カメラと一線を画し、真のソ連オリジナルといえるものだった。この素晴らしきロシアン・アヴァンギャルドのデザインと時代背景については、次回「恐竜の時代」にて詳述したい。(画像は手前からキエフ10初期型、同中期型、キエフ15TEE)
Nikon FE2 + Micro-Nikkor105mmF2.8 FUJICHROME PROVIA100F (RDPIII) Exposure Data:2sec. F=16

 キエフへの道 #13

 1940年代後半より本格的な量産にうつされたキエフは、ウクライナからソ連全土、そして共産圏ブロックをはじめとする世界各地へと販路を拡大していく。その仕向地には残念ながら日本は含まれず、一部に存在のみが知られていたようだが、これは戦後日本のカメラ産業にとって幸運であったかもしれない。当時にあって我が国産カメラの多くは町工場での手作りレベルであり、もしもコンタックスと同等の品質を持つキエフが戦略的な価格で供給されれば、業界へのダメージはかなり大きかった筈である(ただし当時の日本でカメラ輸出は貴重な外貨獲得の手段であり、通産省は業界を手厚く保護していたから、キエフにも相当に高率の関税が課されただろう)。
 話が逸れた。キエフRF機は登場から十年にわたり、戦前ドイツ製コンタックスの原型をほぼ保ったまま生産された(この間のメジャーな変更はボディ前面へのシンクロターミナル追加のみ)。前板に刻印されたキリル文字の銘も風格充分で、この時期の製品を「最良のキエフ」とする人も多い*。当初はモスクワ近郊に置かれたKMZ工場からの供給に頼っていたレンズも50年代半ばからウクライナでの生産が始まり、アーセナル工場はソ連製カメラ生産の一大拠点として発展していく。
 この時期、ソ連は急速な工業化を成し遂げ、西側の盟主を標榜する米国に対して共産主義下の平等を鮮明にする政策を次々に打ち出していった。イデオロギーの“錦の御旗”である「組織的・効率的な生産体制で、高価な嗜好品を国民に安価に供給する」政策も推進された。戦前、そして戦後の西側社会で富裕層の玩具であった高級カメラなどは格好の素材であり、これを労働者に手の届く価格で提供した事実は評価されるべきだろう。そこにはブランドイメージを利用する商業主義とは無縁の潔さがある。もし戦後のソ連に接収されたのがツァイス・イコンでなくエルンスト・ライツの工場だったら、今に至るライカ信仰はあっただろうか?

 戦前のコンタックスから転生したキエフは、西側社会では“プアマンズ・コンタックス”として一定の地位を得た。それは正しい評価ともいえるし、不当に貶められているという見方もできる。僕が思うに、このカメラは「ユニクロ製のアルマーニ」みたいなものだ。だから愛好家は踏み絵を迫られる。あなたはブランドの虚飾を捨てて実を取れますか、と。

 ソ連の工業化を推進した独裁者スターリンは1953年に鬼籍に入り、後を襲ったマレンコフそしてフルシチョフ**はとかく重工業に偏重しがちだった国内政策に修正を加えて“非スターリン化”を注意深く進めていく。この結果50年代半ばからの二十年間はソ連経済の黄金時代となった。ウクライナのアーセナル工場も一種のライセンス生産を脱却し、独自のカメラ技術を育てていく。
 そこに出現した一眼レフこそ、ソ連の最高傑作といえるカメラである。いや、それは進化の袋小路に入り込んで絶滅した恐竜のような存在だろうか?

※次号は「脊山麻理子さん撮影のバンコク特集(1)」をお送りします。

●作例モデル:脊山麻理子

*注1:一般にキエフは製造年を遡るほど高品質といわれ、市場での価格相場も上昇する。ただし品質面では後年生産のモデル(少なくとも60年代半ばまで)との差はないという説もある。

**注2:ニキータ・フルシチョフ(1894〜1971)はウクライナ出身の政治家で、父親はロシア系の炭坑夫という。スターリンの没後に共産党第一書記となり、マレンコフ退任後は首相を兼任する。国内にあっては民主化を、国外では資本主義国との平和共存外交を推進し、米ソ冷戦下に「雪溶け」の時代をもたらした。


2003年07月30日掲載

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