* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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その昔に左翼学生が立て籠もった講堂を背景に、事件のおなじ年につくられた旧ソ連製カメラで撮る。激動の時代を歴史に刻んだ建物も、今では家族連れがお弁当を広げる長閑な場所になった。そういえばレンズ名のミールは「平和」という意味らしい。
Arsenal Kiev-10 + Mir-20 20mmF3.5 FUJICHROME PROVIA100F (RDPIII) Exposure Data:1/30sec. AE



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ミール20は70年代半ばに登場したレンズで、本来はキエフ15用。だからというわけではないだろうが、キエフ10で撮影すると画面の片隅にケラレが出ることがある。両者の相性についてはまた別の問題もあり、詳しくは別項で。ちょっと画面を振りすぎた。
Arsenal Kiev-10 + Mir-20 20mmF3.5 FUJICHROME PROVIA100F (RDPIII) Exposure Data:1/30sec. AE



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●今週のお題:
『黄金期のソ連カメラ(3)』
旧ソ連は中判カメラの分野でも意欲的な製品を遺している。上の「イスクラ2」は1960年代前半に現れた6×6フォーマットのフォールディングカメラで、下の「モスクワ」シリーズ(写真は4型の後期型)の後継機として企画された。両機種ともに製造はゾルキーやゼニットSLRで有名なKMZ工場。イスクラ2は原型のイスクラ(西独アグファ社の「スーパーイゾレッテ」に近似したカメラ)にセレン露出計を組み込んだもので、この露出計に合わせたLVシステムを採用、さらにフィルム装填の手間を省くフルオートマット機構も搭載するなど、当時にあって世界でもっとも進んだ中判カメラのひとつだった。
Nikon FE2 + Micro-Nikkor105mmF2.8 FUJICHROME PROVIA100F (RDPIII) Exposure Data:2sec. F=16

 恐竜の時代 #3

 戦後のソヴィエト工業界が飛躍的な進歩を遂げた背景に、ドイツ工業技術の移植があったことはよく知られている。米ソの宇宙開発競争でソ連が先行したのも、ナチス・ドイツのロケット工場を接収したからだという(米国はV2ロケット製造に従事したフォン・ブラウン博士をはじめ、多くの化学者・技術者を自国に連れ帰ったのだが、初期の開発は遅れがちであった)。
 カメラをはじめとする光学機器の開発もまた、ドイツからの技術移植がベースになっている。1950年代の半ばまでに現れたカメラやレンズも戦前ドイツのそれを模倣(または設計や生産設備を移植)していたのだが、58年に登場したレンズはソ連オリジナルの設計を持つものだった。
「ミール1」という形式名を持つそのレンズは、焦点距離37mm、口径比2.8、エレメント構成は5群6枚。ちょっと中途半端な焦点距離だが、これは広角のスタンダードたる35mmと同等だろう*。現在の基準では特に見るべきところのないスペックだけど、カメラボディとの組み合わせでは当時世界の先端を行く仕様だった。このレンズを装着するカメラはSLR(一眼レフ)だったからだ。
 SLR用の広角レンズは設計が難しく、東独のカメラですら初期にはフランスのアンジェニュー社(レトロフォーカス型レンズのパテントホルダー)に供給を頼っていた。50年代の終わり頃には東西ドイツの主要なレンズメーカーが独自開発を完了していたとはいえ、ミール1はそれと同等以上の描写力を発揮して西側の工学技術者に衝撃を与えた**。
 このレンズと同時に発表されたSLR「スタルトもまた、進境著しいソ連カメラの実力を示すものである。機構設計やデザインの一部に東独カメラからの影響を遺すものの、それまでの「RF(レンジファインダー)機にミラーボックスを合体させた」中途半端さは微塵もなく、当時の国際水準を充分に満たす意欲的なSLRに仕上がっていた。
 いっぽうRF機の分野でも、ソ連カメラは戦前戦後の「複製ドイツカメラ」の域を脱しつつあった。50年代後半にはフェドやゾルキー(バルナック・ライカの完全コピー)は独自の改良を加えたタイプに進化し、中判カメラではツァイスのデザインを移植したモスクワシリーズがオリジナルの意匠を与えられた。そしてソ連最古の光学工場であるGOMZ(後のLOMO)からは、完全オリジナル設計の「レニングラードが登場している。

 この時期のソ連は自国製品の情報を(おそらく意図的に選別して)西側に流していたから、東側の人間でなくとも「ソヴィエト・カメラのゴールドラッシュ到来」を実感できたかもしれない。だが、もちろん彼等が世界最高のカメラを造りはじめたと思う人間はいなかったろう。技術的な優位性は未だに西側ドイツにあり、ソ連と東ドイツの「共産ブロック」はそれを追う立場だった。
 そしてこのカメラ開発競争において、次の種目が「エレクトロニクス」を使って行われることは明らかだった。

※次号は「脊山麻理子さん撮影のバンコク特集(2)」をお送りします。

●モデル:脊山麻理子

*注1:レンズの焦点距離はカタログスペックに忠実とは限らない。例えば50mmの標準レンズはライカが実測で約52mm、コンタックス/キエフは約53mmというのは有名な話。他のレンズも公称値とは多少のずれがあるのが普通で、これは比較撮影をしてみるとよく分かる。

**注2:ミール1は1958年にベルギー・ブリュッセルで開催された国際カメラショーでグランプリを獲得している。また同じ年に発表された西側ツァイス・イコン製SLR「コンタレックス」用の広角レンズ、「ディスタゴン35mmF4」と比較してもスペック上は優位に立つ。ちなみに東側ツァイス・イエナには「フレクトゴン35mmF2.8」という製品があり、ミール1と良く似たスペックだが設計は異なるようだ。


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2003年08月27日掲載

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