* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


写真
---> 拡大表示

ミール1は標準と広角の中間に位置する、ちょっと半端な焦点距離が魅力。とはいえ初期のキエフSLRはこれより広い画角を持つレンズが供給されず、ユーザーには他に選択肢はなかった。標準に近いとはいえ振り下げると下向きのパースが付くので、本当はもう少しカメラ位置を下げた方が良い。モノクロでもトーンが出しやすく、使い易いレンズだ。
Arsenal Kiev-10 + Mir-1 37mmF2.8 FUJIFILM NEOPAN 400 PRESTO Exposure Data:1/30sec. AE



写真
---> 拡大表示

話題の新製品、ベルビア100を使ってみた。このフィルムは旧ベルビア(感度50)に近いカラー特性を持つので、曇天や渋めの発色のレンズにも向いている。麻理子ちゃんが手にしているのは大学の構内で摘んだ野苺。彩度の高さがわかるだろうか。
Arsenal Kiev-10 + Mir-20 20mmF3.5 FUJICHROME VELVIA100 (RVPF) Exposure Data:1/30sec. AE



写真
---> 拡大表示

●今週のお題:
『黄金期のソ連カメラ(4)』
レニングラードの立体的なボディは観る角度によって表情を変える。軍艦部右の巨大なシリンダーはモータードライブの動力たる板バネの収容部。連写速度は約2コマ/秒、レリーズのストロークが短ければさらに高速の連写も可能だろう。自動化された巻き上げに対し、一軸回転式のシャッターダイヤルはいささか時代遅れか。写真の装着レンズは「ジュピター9 85mmF2」で、これは戦前コンタックス用の「ゾナー」を基にしたもの。なんとこのレンズ、基本設計から70年近くを経た現在もほぼ同様の光学設計で製造が続けられている。
FUJIFILM FinePix S2Pro + AF Nikkor50mmF1.4D Exposure Data:1/4sec. F=16

 恐竜の時代 #4

 旧ソ連のカメラが戦前ドイツの模倣から完全に脱却したのはいつ頃だろうか。諸説あるが、僕は前出の「レニングラード*」こそその端緒だと思う。スターリンの死後3年を経た1956年、ちょうどフルシチョフが第二十回共産党大会でスターリン批判の秘密演説を行ったその年に発表されたこのカメラは、戦後ソ連で初めての完全オリジナル設計といえる独創的な機構を持っていた。
 ソ連最古の光学工場とされるGOMZ(後のLOMO)が製造を担当した同機は、その数年前に登場したM型ライカを強く意識し、これを凌駕すべく造られたカメラである。基本設計はコンタックス/キエフ系のそれではなくライカ/フェド/ゾルキー系のものだが、共通点はシャッターの形式とレンズマウント程度で、まったく新しいカメラといえる。特長を観てみよう。
 レニングラードを俎上に載せたとき、真っ先に語られるのは強力なスプリング駆動によるモータードライブだろう。フルチャージ状態でおよそ20カットほどの連続巻き上げが可能、まるで現代の電気カメラのように連写できる(ただし耳栓は必要かもしれない)。この機構にはいくつか先例があった**ものの、数万台という規模で量産されたのは恐らくはじめてではなかったか。
 レンジファインダーも独創的である。これは通常の二重像合致式ではなく、より精密なピント合わせが可能な上下像合致の機構を持ち、左右方向のパララックスも自動で補正される高度なものだ。標準から望遠側の3つの焦点距離に対応する視野枠も常時表示され、明るくクリアな視野を観察しながら豊富な交換レンズ(大半はモスクワ近郊のKMZ工場より供給された)を自在に駆使できる。接眼部には視度調節機構も内蔵され、出来映えはM型ライカに勝るとも劣らない。またカラーフィルムの普及にあわせフラッシュバルブの同調機構も完備するなど、当時最新の写真技術を意欲的に採り入れたソ連の意気込みを伺うことができる。
 機能に劣らず、外観にも意が注がれている。やや無骨な平面と優美な曲面が絶妙なバランスで同居するボディシェルに、まるでロシア正教の寺院のように無造作に突起を配置したところなど、レトロモダンなロシアデザインのひとつの極致といいたい。面白いのはレンズマウント面の周囲を一段低くし、両脇を張り出させた前面部の造形で、ドイツや日本のカメラではまずお目にかかれないデザイン処理である。
 実はこのデザインには当時のソ連カメラ産業の置かれた状況を知るうえで、いくつか有用なヒントが隠されている。その考察(というより僕の勝手な推理)は次号にて。

●モデル:脊山麻理子

*注1:レニングラードは旧ロシア帝国の首都サンクト・ペテルブルクを改名した都市(1914年から24年まではペトログラードと呼ばれ、その後社会主義の指導者レーニンの死去に伴いこの名が与えられた)。同市は1991年9月、ソ連が崩壊する直前に市民投票により旧市名を復活させた。ちなみに現ロシア大統領ウラジミール・プーチンもこの街の出身。

**注2:スプリング駆動によるモータードライブ機構の歴史は古く、ロールフィルムの実用化とほぼ同時にシネカメラのメカを転用したものが登場している。35mmフォーマットに限れば戦前ドイツの「ロボット」(1934年〜)をはじめ、米国の「フォトン」(48年〜)、東独のSLR「プラクチナ」(52年〜)に設定されたアクセサリーなどがある。日本においても少数の採用例があり、その第一号は寺岡製作所の「オートテラ・スーパー」(55年発売)らしい。


2003年09月10日掲載

<--Back     Next-->



Webmaster :
ammo@tokyo.fujifilm.co.jp
Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部