* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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何故か巨大な量り(車輌の積載重量を量るもの)が置かれていた。もちろん麻理子ちゃんとキエフ15が載った程度ではまったく反応しない。ところでこの構図は人物撮影には御法度です、良い子の皆さんは真似をしないように。
Arsenal Kiev-10 + Mir-20 20mmF3.5 FUJICHROME ASTIA100F (RAPF) Exposure Data:1/30sec. AE



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キエフ10のセレニウム露出計は感度も良く、ネガフィルムを使う限り(極端な逆光などを除けば)ほとんどAEのまま無補正で撮れる。補正が必要な場合はフィルム感度設定をずらせばOK。ただし露出にシビアなリバーサルでは単体露出計を使った方が無難で、そうなるとAE機の意味がなくなって辛いところだ。
Arsenal Kiev-10 + Mir-20 20mmF3.5 FUJICOLOR NewPRO400 (PN400N) Exposure Data:1/30sec. AE



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●今週のお題:
『黄金期のソ連カメラ(5)』
真俯瞰で観るレニングラードはまったく違う表情を見せる。ボディ断面はアルファベットの「D」字形。1956年に発表されたこのカメラのデザインは、その数年後に登場するライカ初のSLR「ライカフレックス」に影響を与えた? そういえば扇形のフィルムカウンター窓も良く似た意匠ではある。大柄なジュピター9を装着したバランスは良いが、スナップ機としては少々大きすぎると思う。レリーズの位置はギリギリまで前に寄せられ、かつ嵩上げもされているものの、スプリングを収めるシリンダーが指に干渉してちょっと使いづらい。
FUJIFILM FinePix S2Pro + AF Nikkor50mmF1.4D Exposure Data:/4sec. F=16

 恐竜の時代 #5

 レニングラードの外観を特長づけているボディ両翼の張り出しだが、これは内部メカの配置による必然ともいえるし、洗練のための努力を欠いた設計の怠慢ともとれる。真相はネヴァ河の霧の中だけれど、どうやらその理由はモータードライブのメカニズムにあるようだ。
 このカメラの裏蓋を開けると、まず目に付くのはフィルム巻き取り用のドラムである。これは35mmフィルム用のパトローネにほぼ等しい直径を持つ巨大なもので、その外周にフィルムを巻き付けていくのだから要求されるスペースは推して知るべし。ドラムの径を小さくすればコンパクトにすることは可能だが、今度は1コマを巻き上げるために必要な回転角が大きくなる*(これは巻き上げコマ数が減ることを意味する)。また軸の回転速度を一定とすると、巻き上げスピードも遅くなる。
 そこでボディの奥行きが増すのには目をつぶり、大型のドラムで内部のスペースをゆったり取る。こうすれば軍艦部に載せるシリンダーの径も稼げ、そこに収めるスプリングの長さも確保できる。ついでにスプリングの幅も増やせば巻き上げトルクも強化できる。目出度しメデタシ、というわけだが、ここでひとつ問題が生じた。このカメラにはフェド/ゾルキー系のレンジファインダー機とレンズを共用する設計上の要求があったからだ。
 他のカメラとレンズを共用する場合、絶対に動かせないのがフランジバック(マウント前面からフィルム面までの寸法)である。フェドやゾルキーは戦前のライカコピーに端を発するカメラで、フランジバックはきわめて短い。レニングラードの設計陣もそこで詰まってマウント面を下げたのだろうが**、ボディ両翼をグリップ状に張り出させた造形はこのカメラに独特の風格を与え、ついでにカメラのホールド性を高める結果となった。
 つまり、このカメラの成り立ちには先ず連続巻き上げコマ数というスペックがあり、そこからドラムやスプリングのサイズが導き出され、これを収めるボディの奥行きが決まった。機能優先の贅沢な設計である反面、レンズの共用という「社会主義政策」によってデザイン上の矛盾も生じている。もともと35mmロールフィルムを使うカメラは小型軽量がひとつの売りで、特にレンジファインダー機はその傾向が強い。そこにカメラの肥大化を容認する意志が働いたとすれば、機能を詰め込んで大型化したM型ライカのヒットが要因だろう。
 果たしてこの時代のソ連に、自動巻き上げのカメラを望む声がどれだけあったのかは謎だが、レニングラードの総生産数は60年代半ばまでに7万余台を数えたという。

 レニングラードが登場した1956年当時、ソ連はフルシチョフの指導のもと、改革共産主義の道を突き進んでいた。これはスターリン体制下の戦時経済システムを見直して急速な経済成長を図ったものだが、その過程でノメンクラツーラ(特権階級)という矛盾も生まれた。レニングラードはそういう「お金持ちのコミュニスト」向けに企画されたカメラであり、東側のM型ライカよろしく、飛び抜けたプライスタグを付けていたそうだ。
 さて、こうして西側を仮想敵とする指導者への面目を保ったソ連のカメラ技術者たちだったが、彼等はやがて恐るべきライバルに遭遇する。

●モデル:脊山麻理子

*注1:レニングラードのフィルム巻き上げは通常のスプロケットギアを用いず、ドラムの回転角で巻き上げ量を規定している。このため送り量は一定にならず、ドラムに巻き付くフィルムが厚みを持つ終端付近ではコマ間が「がら空き」になる。DPE屋さんの自動プリンター泣かせのカメラである。

**注2:レニングラードのレンズマウントはバルナック型ライカと同一規格だが、奥まったマウントと平坦な軍艦部には僅かな透き間しか存在しない。このためフランジ付近の径が大きい最新のLマウントレンズ(コシナ=フォクトレンダー製など)は装着不能なものが多いので注意が必要。


2003年09月17日掲載

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