* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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今週は「ちょっと悪い子の麻理子」。撮影に使ったレンズは70年代半ばより供給が始まったキエフSLRの新世代(17〜20の各型)用で、なんと我がニコンFマウントと互換性がある。この35mmは恐らく80年代後半に開発された現行品で、今の基準に照らしても第一級の性能を持つ。麻理子ちゃん、イカスミのリゾットが口に……。
Nikon FE2 + Arsenal Mir-24N 35mmF2 FUJICHROME ASTIA100F (RAPF) Exposure Data:1/15sec. F=5.6



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こちらはやはり新世代キエフ用レンズ、アルサット50mmで撮影。全体に滲んだ描写は絞り開放の収差と手ブレの合わせ技。普通の条件で使えば普通に良く写るレンズだ。
Nikon FE2 + Arsenal Arsat-N 50mmF1.4 FUJICHROME ASTIA100F (RAPF) Exposure Data:1/30sec. F=1.4



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●今週のお題:
『キエフ10/15』
キエフ10(右)と15の軍艦部の相異。基本的に同じメカニズムを持つ両者だが、アバンギャルドかつ未来的でプレーンな造形の10と並べると、15はずっと常識的に見える。15のペンタ部に設けられたアクセサリーシューはストロボ同調接点を持つ「ホットシュー」で、汎用のストロボをクリップオンしてそのまま使える。奇妙なことに、旧ソ連ではここに装着する小型ストロボがほとんど製造されなかった。電子技術面の立ち後れがシステムの発展を妨げたのだろう。
FUJIFILM FinePix S2Pro + Micro Nikkor 105mmF2.8 Exposure Data:1/4sec. F=16

 恐竜の時代 #13

 年輩の読者なら記憶されていると思うけど、その昔、在日ソ連大使館では「今日のソ連邦」という小冊子を発行していた。世界情勢のほとんどが西側ジャーナリズムのフィルターを通して届けられる時代、それはなにか知ってはいけない世界のことが記されたような、ちょっと怪しげな印象を受けるメディアだった。たぶんこれを目にした人の多くはそう思ったはずだ。僕もそうだった。
 いったいに、東側世界の情報というのは昔の大本営発表のようなところがあって、なにが本当かよくわからない。経済もジャーナリズムも国家によって統制されていたのだから、いわゆる“自由圏の人間”が不信感を抱くのは無理もないことなのだ。じっさいには西側メディアの情報も信憑性では五十歩千歩なのだが。
 それでも1960年代のソ連の情報は、(いわゆる「鉄のカーテン」の透き間から漏れ伝えられる限られた情報とはいえ)さしたる粉飾もなかったという。それは64年までおよそ十年ほど続いたフルシチョフの治世が、とりあえず右肩上がりの経済成長を維持していたからであり、その成長は後を襲ったブレジネフの時代にも引き継がれるはずだった*。
 それがなぜ、立ちゆかなくなったのか。フルシチョフ時代から農業と工業それぞれに問題を抱えていたというし、また肥大化した軍需に原因を求める説もある。こんにちでは多方面から研究書が出版されているので、ざっと目を通してみたがよくわからない。たぶんあまりにも巨大な実験場で、個々のシステムが複雑に絡んだまま勝手な方向に進み始めたのだ。むしろソ連の破滅とは、それを秘匿して繕い続けたことに原因があるように思える。
 じっさい、70年代におけるソ連経済の内情はかなり悲惨なものだった。CIAが算出した経済成長率は、66年〜70年の5.1%からおよそ十年で半分以下に減少している**。この経済の低迷は社会のあらゆる部分に影響をおよぼし、工業の分野では開発の停滞と品質の低下をもたらした。
 こうして、まるで巨大な隕石が落ちたあとの恐竜のように、意欲的な製品をつくりつづけていたソ連のカメラ産業も(じっさいに独立したカメラ産業が存在したかどうかは疑問だが)低迷の時代に突入する。おそらく開発資金を絶たれ、あるいは厳しいコスト削減策を課せられたのだろう。70年代に入ると彼らの製品の質はしだいに低下していき、モデルチェンジに伴うスペックダウンや、継続生産品のクオリティドロップは当たり前になった。
 だから1974年にウクライナのアーセナル工場が「キエフ15」を発表できたことは、このカメラが(原型たるキエフ10とともに)ある種の例外、あるいは特権階級的な扱いを受けていたことの証左かもしれない。キエフ15は複雑なメカを持つキエフ10をさらに発展させ、より高精度の写真撮影を目指したものだったのだ。それは西側のカメラ、特に彼らが範としたドイツ製品と肩を並べ、あるいは追い越したはずだったのだが……。

●モデル:脊山麻理子

■本稿の執筆にあたってはロシアカメラ研究家の三枝史明氏が運営されるWebサイト『Old Soviet Camera Guide』より多くの示唆をいただきました。


*注1:ブレジネフはフルシチョフらと同様の独裁体制を敷かず、集団指導体制をとった(ブレジネフ自身はソヴィエト共産党の第一書記に収まるのみで首相を兼任しなかった)。この結果ブレジネフの治世は長続きするが、その間にソヴィエトの崩壊は確実に進行していった。

**注2:ソヴィエトの経済学者によれば、現実の経済成長率はCIA発表の数字からさらに2%を引いた値に近いという。つまり70年代後半にソ連はマイナス成長時代に突入し、それは連邦崩壊まで十年以上続いた。(マーティン・メイリア著「ソヴィエトの悲劇」草思社・刊)


2003年12月10日掲載

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