* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


写真
---> 拡大表示

鎌倉・七里ヶ浜のイタリア料理店にて、二皿目を平らげた麻理子ちゃん。さて次の皿は……。
Nikon FE2 + Arsenal Mir-24N 35mmF2 FUJICHROME ASTIA100F (RAPF) Exposure Data:1/60sec. F=2



写真
---> 拡大表示

苺を食べる女。苺といえばポランスキーの「テス」が有名ですね。この撮影距離だと背景はちょっと二線ボケ気味。アスティア100Fは世界最高の粒状性とともに滑らかな階調推移が特徴、タングステン光源下の発色もニュートラルで良い感じだ。赤坂のフランス料理店にて。
Nikon FE2 + Arsenal Arsat-N 50mmF1.4 FUJICHROME ASTIA100F (RAPF) Exposure Data:1/30sec. F=1.4



写真
---> 拡大表示

●今週のお題:
『キエフ10/15』
ウクライナ・アーセナル工場、30年の軌跡。大戦直後のコンタックス製造設備移管に端を発したキエフカメラは、60年代から70年代のSLRシリーズで大輪の花を咲かせた。もしも彼らがこの創造性を維持できたら、今のカメラは少し違ったものになっていたかもしれない。右手前より時計回りでキエフII型(54年製)、キエフIV型(64年製)、キエフ15TEE(76年製)、キエフ10(69年製)。
Nikon FE2 + Micro-Nikkor105mmF2.8 FUJICHROME PROVIA100F (RDPIII) Exposure Data:2sec. F=16

 恐竜の時代 #14

 1974年にキエフ10の後を襲って登場したキエフ15には、主として測光精度の向上を図る改変が施されていた。これは当時のソ連でカラーフィルムが普及したことを受けての改良であり、必然的な進化といえる。それまでペンタ部の前面に置かれていた露出計の受光素子をカメラ内部に収納し、レンズを透過した光で測光するTTL(スルー・ザ・レンズ)方式に改めたことで、測光精度は飛躍的に高まった。
 とはいえ、この方式はすでに日本のカメラが採用しており、これに自動露出をリンクさせた機種も70年代初頭に登場している。だからキエフ15には「キエフ10ほどの歴史的価値はない」とする研究者も多い。キエフSLRを開発したアーセナルの技術者は、自らの技術のルーツである西ドイツのツァイス・イコンを意識するあまり、東の方角に注意を払わなかったのだろうか?
 歴史的な位置づけはさておき、キエフ15はアーセナル工場の、いやロシアカメラ最後の力作といえる。見た目は普通のカメラに近づいたものの、あのロータリーシャッターをはじめとする過剰で複雑なメカは健在で(製造と整備の難度は相変わらず高かったようだ)、設計年次におけるソ連の技術水準の高さを証明している。
 最大の特徴であるTTL測光系には、受光素子としてふたつのCdS(カドミウム・セル)が採用された。これはキエフ10の受光素子(Lサイズのセレン光電池)に比べ遙かに小型で、ペンタプリズム両脇に無理なく収納されている*。西側に比べて後れをとりがちだったエレクトロニクスの応用も、このあたりは比較的手堅くまとめられた印象を受ける。また巻き上げレバーや絞り制御ダイヤルなども改変を受け、実用性はずっと高くなった。大柄なボディも緻密な操作感覚も、ソ連のフラッグシップ機に相応しい風格を持っている。
 ただしカメラがメカトロニクス製品として進化する時代にあっては、キエフ15はもはや時代遅れの製品だった。おなじころにつくられた日本製のSLRは、TTLによる自動露出をずっとスマートにまとめ、より高精度の制御を実現し**、そして(おそらくずっと安価に)大量生産を行っていたからだ。史上最大の社会主義国家の力作といえど、小回りの利く「会社主義」国家の製品には勝ち目がない。
 アーセナルはキエフ15の生産を80年代初頭まで継続するが、その途中の77年には日本製のSLRを参考にした完全な新設計の機種を開発する。それはまるでコンコルドを真似たツポレフTu144のような安易な製品であり、あの独自性のカタマリのようなキエフ10の系列とはまったく関連がない。ソヴィエト工業界の低迷を象徴するように、以後アーセナルの主軸はこの「キエフ17シリーズ」に引き継がれていく***。
 60年代初頭にはじまったソ連製カメラの黄金時代は、こうして終わりを告げた。ではキエフ10そして15とは、果たして何だったのか?

●モデル:脊山麻理子

■本稿の執筆にあたってはロシアカメラ研究家の三枝史明氏が運営されるWebサイト『Old Soviet Camera Guide』より多くの示唆をいただきました。


*注1:ただしCdSはセレニウム・セルのように自己発電を行わず、また出力電圧も低いためバッテリー駆動の増幅回路を必要とする。

**注2:70年代の日本製カメラは露出計の受光素子をそれまでの主流だったCdSからSPD(シリコンフォトダイオード)に変え、測光精度の向上を実現していた。SPDはCdSの弱点であった応答速度の遅れや直線性の悪さ(光量の変化に対してリニアに反応しない)などの問題を解決する素子だったが、出力電圧がケタ違いに低いため増幅回路に高度な技術を必要とした。ちなみにこのSPDを世界で初めて採用したSLRは「フジカST701」(70年発売)である。

***注3:キエフ17シリーズは明らかに日本のニコンFシリーズを参考にしたカメラで、レンズマウントもFマウントと互換性がある。これは後に18、19、20の各型に発展し、2003年現在も「キエフ19M」として生産が継続されている。ちなみにキエフカメラの型番には「飛び番」が多く、「キエフ16」も存在があまり知られていないが、これは16ミリシネカメラである。


2003年12月17日掲載

<--Back     Next-->



Webmaster :
ammo@tokyo.fujifilm.co.jp
Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部