* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文/中山慶太 --->Back Number  写真/脊山麻理子


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1.足と柔らかな陽だまりと縁側
ひんやりした床にのんびり足を投げ出して
やわらかな日差しを浴びながらうたた寝がしたいと最近強く思う。
私の足は今枠からはみ出ないようにまっすぐ歩こうとしている。
自分を見失いそうなとき、私は写真を撮ろう。
カメラを通してゆっくり周りを見渡そう。
自分の撮った写真を見ると、そのとき感じた生暖かい心の感触がよみがえる。
時は止められない。せめてその感触に再度触れられるように、写真を撮ろう。
そう決めたんだ。
(by maRiko / Prominent Ia)



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2.お花と硝子窓と自転車
硝子の窓に映りこんだ景色と、
硝子の窓の向こう側にある景色が溶け合ってみえるから、
硝子の窓を見るのが大好き。私の心の窓もきっと硝子でできている。
いろいろなものがよく見えて、溶け込んで、融合し、反射して、、、
中に透明な硝子があるからこそ美しく、また入ることもできない。
(by maRiko / Prominent Ia)



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3.自転車と影
太陽の光は本当に最高の照明。
太陽はすべてを色あせさせるほど強力なのに、あったかくて、淡くて、
いいにおいがする。
地面を照らす太陽と、土と、緑と、水に新鮮な空気、
当たり前に私を取り囲んでいた君たちが
どんなに私を生き生きとさせてくれていたか気がつかなかったよ。
時間があれば私は自転車にのって君たちを体感しに行くよ。
懐かしい東京の日常を体感しに。
(by maRiko / Prominent Ia)

東京レトロフォーカス Special Edition
『カメラと建築の関係を考えてみた』


 昔のたてものを集めた公園を歩いて、あることに気付いた。
 それは「昔の建築は完成品がすくないのではないか」ということだ。特に日本家屋、それも昭和初期あたりまでのものはどれも未完成というか、半完成の状態に感じる。たてものの外観は完全なバランスを欠いているように思えるし、間取りや内装もツギハギっぽいものが多い。今風にいえば、コンセプトとパッケージ感が希薄なのだ。
 建築史に疎い僕の勘違いかもしれないけれど、昔のたてものは「完成度」をあまり追求していないのではないか。先日撮影に訪れた「江戸東京たてもの園」などを巡れば、昔の建築が今よりずっと曖昧にできていることがわかる。これは木造建築だから当然といえば当然なのだけど、最初から隙のない完成品をめざすのではなく、まあ住みながらじっくり手を入れていきましょう、という意図を感じる。昔の家は「一生モン」どころか二世代三世代に引き継ぐのはあたりまえ? だから、それで良かったというか、それが正解だったのだろう。

 僕らが使っているカメラにも、きっとおなじことがいえる。カメラという言葉がイタリア語の「部屋」を語源とするのは有名な話だけど、昔のカメラには家といっしょで最初から完成度を追求していないものがけっこうあるのだ。
 まあ日本のカメラメーカーは昔から顧客満足度を大切にしていたから、問題のある製品を出すことはあまりない。その点で海外のメーカーは面白くて、伝統ある企業が思いっきりハズしてくることもある。僕が持っているカメラでは、西独フォクトレンダー社の「プロミネント」がそうだ。
 このカメラの初代であるI型は1950年に発売され、当時のライカ(バルナック型のIIIFの時代だ)を凌ぐ高品質・高機能を狙った戦略商品だった。値段もかなりのものだったらしいけど、旧世代の蛇腹カメラをベースにしたメカニズムはいろいろ問題が多い。この話はまた詳しく書くとして、発売当初の不評に慌てたフォクトレンダー社は、ファインダーや巻き上げ機構に改良を施した機種を矢継ぎ早に発売していく。
 こうした改良で多少は使い勝手が良くなったけれど、それでも市場に受け入れられたとは言い難く、やがてライカ社があのM型を発売するにおよんで、プロミネントは市場での競争力を奪われて消えていった。だから有り体にいって失敗作なのだけど、最近はこのカメラの使いにくさが好きだというひねくれた愛好家も多いらしい。僕もそうである。
 で、そういう歴史的な位置付けを知らないひとは、はたしてプロミネントをどう感じるのか。興味があったので、おなじみの脊山麻理子さんにこのカメラを使ってもらうことにした。そうして「江戸東京たてもの園」で彼女が撮った写真がここにある。いつものように非凡な構図とモチーフへの独自のまなざしを感じる、素敵な作品ばかりだ。いつもと違うのはちょっと色が黄色いこと(これはレンズのせい)、そして時間の流れがさらに緩やかに感じられることだろうか。
 たぶんこのカメラが商業的に失敗したのは、彼女のように自分のペースを崩さず、ゆったり撮影するひとが少なくなっていったからなのだろう。写真はシャッターチャンスが大切だけど、大切なものは他にもたくさんある。お気に入りのものを写真に撮りたければ、たまにはカメラのペースに合わせてみるのもいいだろう。カメラがどんなに進歩しても、家といっしょで最初から完全なものは望めないのだ。

※脊山麻理子さんの作品特集、次回は6月第1週に掲載の予定です。お楽しみに。


2004年05月06日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部