* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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旧ソ連・現ウクライナ製の対角魚眼レンズで撮影。優秀な光学特性と群を抜くコストパフォーマンスで知られるこのレンズ、「ツァイスのF-ディスタゴンのコピー」と信じる人が多いが設計は別物。国産645カメラボディにアダプターを介して装着するのがポピュラーな使い方だけど、やはり対角魚眼はスクエアフォーマットがよく似合う。
Arsenal/Arax 60MLU + Arsenal Zodiak 30mmF3.5 FUJICHROME ASTIA100F Exposure Data:1/250sec. F11



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旧き佳き日本家屋の三和度(たたき:本来は土間の意味)。これはライカ判で35mmに相当する65mmレンズで撮影、光軸をシフトさせてパースを強調している。中判用レンズの被写界深度はこれくらいの広角域でも浅く、深いピントが欲しければ思い切って絞り込むしかない(プロビア400Fに感謝)。靴は揃えて脱ぎましょう。
Arsenal/Arax 60MLU + Arsenal Mir-38B Sift 65mmF3.5 FUJICHROME PROVIA400F Exposure Data:1/60sec. F16



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故障したハッセルブラッドがなかなか修理から戻ってこないので、以前に紹介したカメラを再度紹介。「イスクラ2」は旧ソ連製ミディアムフォーマット機の名品で、特にレンズはきわめて優秀とされる。問題はローライフレックスばりの「完全オートマット機構」(装填〜巻き上げ時にフィルムの厚みを検知して自動的に1コマ目で停止する)にあって、凝りに凝った構造はトラブルを起こしやすい。僕が所有するこの個体はなんとか無事に動いているが……。

スクエアフォーマットの誘惑 #5

 スウェーデン空軍の依頼に応じ、ヴィクター・ハッセルブラッド博士は「HK-7」という航空カメラを制作する*。1941年に納品されたこのカメラを、現代では“ハッセルブラッドの始祖”と位置付ける向きも多い。ただしフィルムはブローニーでなく80mmのパーフォレーション付きで、画面サイズは7×9センチの長方形だった。これは軍に設計目標として提示されたドイツのカメラ(ベルリンのフリッツ・フォルクが制作したHK-12.5)が同じ仕様だったためだ。
 このHK-7は確かにその後のハッセルブラッド製品とよく似ている。特にボディ両サイドから突き出したハンドグリップ(HKはハンドカメラの略らしい)は、後年のハッセルブラッド用アクセサリーとして用意されたグリップを思わせて興味深い。ただしHK-7は一眼レフではなくただの暗箱で、構図はボディ上部の視野枠で決定する。当時の航空カメラは偵察機に搭乗した撮影者が窓からカメラを構えるスタイルが多く、両手でグリップしながらシャッターを押すだけの単純操作が求められたのだ。レンズは無限遠に固定され、撮影は天候に合わせて絞りとシャッター速度を調節すればいい。
 だからHK-7がハッセルの始祖という通説にはそれほど深い意味があるわけではない。デザインにしても、奥行きの長い箱形ボディの前面にレンズを、背面にフィルム室を置けばどうしたって同じカタチになる。そもそもハッセルのデザインはオリジナル性が高いかといえばそうでもなくて、あの形状は上記フォルクのHK-12.5をなぞったものだし、そのフォルクだって戦前ドイツの「プリマーフレックス」や「プリンツ」などをルーツにしている。
 どういうことかというと、つまりライカに代表されるレンジファインダー機、コンタックス試作機に端を発する35mm一眼レフ、そしてローライ二眼レフに加えて中判の一眼レフ。これら20世紀後半に定番となるカメラデザインの基本骨格は、1930年代のドイツであらかた考えつくされていたということだ。この当時のドイツ光学産業がいかに飛び抜けた存在であったか。
 余談だけど、僕はドイツ製品にそれほど過剰な思い入れはない。というか、本当はもっと冗談が通じそうな国のカメラの方が好きなのだけど、彼(か)の国がカメラ史に占める位置については資料をあたるたびに驚かされる。戦争がなければどうなっていたんでしょうね、本当に。

 さてそういうドイツの製品を前にして、軍の関係者に 「おんなじものはできないけど、もっと優れたものならできますよ」と豪語したのだから、ハッセルブラッド博士はよほど自分のアイデアと技術に自信があったのだろう。彼はこの仕事をきっかけにカメラ製造会社を設立し、1941年から43年までに合計240台ほどのHK-7を製造する**。これは中立国の軍用カメラとしては立派なヒット商品である。
 戦時中のハッセルブラッド社はこのHK-7を皮切りに数種類の軍用カメラを手がけ、同時にコンシュマー用のカメラづくりにも取り組んでいく。既存のカメラの常識を覆すその成果は1948年、米国にてお披露目されることになる。

●モデル:脊山麻理子


*注1:HK-7にはレンズ違いで3つのバージョンがある。カールツァイス・イエナ製ビオテッサー135mmF2.8、マイヤ製テレメゴール250mmF5.5、そしてシュナイダー製テレクセナー240mmF4.5である。明るいツァイス製の標準レンズはともかく、後二者のスペックが類似しているのは何故か? これは想像の域を出ないが、戦前に輸入されたストックを使ったのではないだろうか。

**注2:戦前のハッセルブラッド・ファミリーは米国からのカメラ輸入を主体とする会社を経営していた。博士がスウェーデン軍の仕事を受注できたのはこの家業のコネクションによるところが大きい。なおハッセルブラッド博士自身はカメラの図面を引くことはなく、設計はアイク・トラネフォルスをはじめとする同社の技術陣が手がけていたようだ。


2004年05月19日掲載

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