* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文/中山慶太 --->Back Number  写真/脊山麻理子


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カルピスの味

海風が気持ち良い逗子の2階の屋根の上で飲んだカルピスの味をこのポスターを見ながら思い出した。じりじり太陽を感じながら、透明の大きなコップに氷がたくさん入ったカルピスを、ストローでカランコロンとかき混ぜながら飲んだ。ほのかに甘くて、冷たい味。私にとってカルピスは初夏の味。うん、そろそろカルピスが飲みたい!
(by maRiko / Recina Ib)



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ボタン

ボタンをかちかち押したい衝動にかられることがある。

かたかたかちかち全部のボタンを押したいよ!

どうしよう、どうしてこんなにきれいに並んでいるの、きれいな色合い

目をつぶるとかさなりあってネオンのようにまぶたに残像が残る!

助けて
(by maRiko / Recina Ib)



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コカコーラ

コカコーラのビンの色が好き。

コカコーラのロゴが好き。

コカコーラの色あせた木箱ケースが好き。

コカコーラの渋い赤のケースが好き。

生まれたときから変わらないものコカコーラ

不変なんてありえない世の中だけど、死ぬまで変わらないでいてください!
(by maRiko / Recina Ib)

東京レトロフォーカス Special Edition
『記憶者は記憶する』


 密告者は密告する。計画者は計画する。
 これは僕が大好きな岡崎京子さんのコミック*で使われていたネームだ。読んだのはたぶん十年以上前だと思う。岡崎さんの作品にはこういう記憶に残るフレーズがたくさんある。
 僕の場合、言葉の記憶は物語そのものよりも長持ちするので、印象的なセリフや言い回しを思い出しては、はてそれはどんなハナシに使われていたのだっけ、と首を捻ることも多い。このセリフが使われていた物語もそうである。アルミ鍋の使いすぎかもしれないけれど、まあそれはコミックに限ったことではない。映画や小説も印象的な断片ばかりが記憶に残る。断片しか残らないといってもいい。その断片にしても細部が怪しかったりして、けっこう不確かなものである。

 そもそも人間の記憶の保存期間というのはどれくらいあるのだろう。子供の頃の想い出を鮮明に記憶しているひとは僕の周りにもいっぱいいるし、親の世代に訊いてもおなじ答えが返ってくるから、アタマの記憶装置はほぼ人間の一生分くらいはもつのだろう。
 でもその記憶は賞味期限はなくても、「美味しく召し上がれる時期」が決まっていて、年月とともに曖昧になっていく。これはデータそのものが劣化してノイズだらけになっているのかと思えば、ふとしたきっかけで鮮明な画像や音を呼び出せたりする。不思議なものである。

 きっかけといえば、むかし撮った写真を眺めていると、その前後のシーン、つまり写真に定着されていない時間の記憶が甦ることはよくある。そういう場合は使ったカメラやレンズもすぐに思い出せる。そのいっぽうで、なかには前後のシーンや機材はおろか、撮影した情況がまるで思い出せない写真もある。そういう場合は写真も(当者比で)つまらないものが多い。たぶん被写体に強い印象を受けずに「なんとなく」レリーズしているのだろう。メモ代わり、という奴である。
 確かな統計にあたったわけではないけれど、このメモ代わりに撮られる写真というのはかなりの数に上ると思う。記憶ではなく記録の写真。これはレンズの描写性などあまり問題にされないから、カメラはなるべく持ち運びに便利で、操作も自動化されているものが適している。カメラ付きケータイなどは最高だろう。
 逆にメモに不適なのは操作の面倒なマニュアルカメラだ。ピントや露出を外した写真は読めない文字で記した走り書きみたいなもので、記録にならない。だからクラシックカメラの、それも目測機などはカメラ付きケータイの対極に位置しているともいえる。写真にとって大切なピントを機械が保証しないのだから、これは不確かなことを前提とした、記録ではなく記憶のためのカメラかもしれない。

 普段から何気なく使っていて言葉だけれど、メモとはmemorandumの略で、その語源はmemoryだという**。メモリーは記録とも記憶とも訳せる。でも旧いカメラで撮った写真は、人間の記憶のように曖昧に写ることが多い。むしろ曖昧な方が美しかったりする。記憶を美しく残せるか否か、それは撮影者の美意識に因るところも大きい。
 そういえばこの連載のために訪れた「江戸東京たてもの園」で、脊山麻理子さんは大昔の目測カメラを使って黙々と写真を撮っていた。そのアガリとノスタルジックなコメントを観たときに、ああ、このひとのアタマにはきっと写真のように美しい記憶がつまっているのだと思ったものだ。
 記録者は記録する。記憶者は記憶する。おなじカメラを使っても、人間はふたつに分かれるものなのか。
 たぶんきっとそうなのだろう。

※脊山麻理子さんの作品特集、次回は9月第1週に掲載の予定です。お楽しみに。

*注1:「pink」岡崎京子著、マガジンハウス刊。
**注2:読者の伊勢坂さまよりご教授いただきました。ありがとうございます。


2004年07月07日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部