* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/脊山麻理子 --->Back Number


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Contax IIa + Sonnar 50mmF1.5 FUJICOLOR New Pro400
撮影:脊山麻理子(C)Mariko SEYAMA



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Contax IIa + Sonnar 50mmF1.5 FUJICOLOR New Pro400
撮影:脊山麻理子(C)Mariko SEYAMA



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Contax IIa + Sonnar 50mmF1.5 FUJICOLOR New Pro400
撮影:脊山麻理子(C)Mariko SEYAMA

東京レトロフォーカス Special Edition
『maRiko's photo diary #1 刹那な写真』


 写真はひとつの空間を本当に小さな四角の中に切り取ったものなのに、それを観ると私の頭の中には映像が、音が、情景が浮かんできます。たとえそのときの記憶が薄れていたとしても、想像力が刺激されて、そのときの五感がよみがえります。自分の中にある「どろっ」とした部分から溢れる「リアル」な感情が生まれます。
 きっと写真には、幸せな色や不安な空気、悲しい視線など、その幾通りもの「色」があり、それが人の想像力を刺激するのでしょう。
 写真は不思議です。切り取り方によって、記憶がリアルに蘇ります。だから私は写真を撮りたい。たくさんたくさん撮りたい。いつか24歳の私の感覚を忘れてしまったときに、今の感覚がよみがえったら素敵だから。それに何より、人間の刹那を記録できるから。

 私の家族は週末に会うたびに写真を何枚も撮ります。小さいころ、なんでこんなに写真を撮るのだろうと不思議でした。でも今はわかります。この瞬間にだって何が起こるかわからない、いつ永遠の別れがくるとも知れない、だから一時の別れであれ、笑顔写真を撮って解散するのだと。

「どうせ死ぬのなら、欲しがる水をうんとたくさんのませてやればよかった」
「あのとき、なぜ叱ったのだろうと、二十数年たった今も心に残ってしかたがないの」
「死ぬのでしたら、夜を徹しても話をきくのでしたのにと、今でもいとおしさで胸がいっぱいでございます。」
 先日、朗読劇「この子たちの夏−1945・ヒロシマ ナガサキ−」を観ました。これはその劇で印象に残ったフレーズです。

 つい最近、両親と食事をすることになっていた時に、母が「疲労で頭が痛いので今日は行くの、やめようかしら」と電話をしてきました。私は
「了解! 無理しないほうがいいよ、いつでも一緒にご飯食べられるし、また今度ね、じゃ!」
 と言って電話を切りました。そうして朗読劇のあのフレーズを聞いたとき、私は急に母と会わなかったことを後悔し、急に、無性に母に会いたくなりました。
 電話を切るとき、それがひとときの別れであれ、笑顔で会話を終えたいと思うのに、人は過ぎていく瞬間に流されてしまいがちです。だから人は写真を撮るのでしょう。時空の刹那を永遠に記憶するために。


※脊山麻理子さんの連載、次回は10月第1週に掲載の予定です。お楽しみに。


2004年09月08日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部