* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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真四角の画面には真っ直ぐな笑顔がよく似合う、かな?
Arsenal/Arax 60MLU + Carl Zeiss Jena Flektogon 50mmF4 FUJICHROME ASTIA100F Exposure Data:1/500sec. F5.6



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スクエアフォーマットに慣れると通常の長方形写真がものすごく長細く感じる。特に縦位置の構図では作画意識が強くなる。フォーマットを使い分けるのも写真の愉しみだと思う。
Leica M3 + Elmarit-M28mmF2.8 FUJICHROME ASTIA100F Exposure Data:1/125sec. F11



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第二次大戦直前の1939年に登場したテナックスI型。製造元のツァイス・イコン社はその2年前に同名のカメラを発売しており、何故かそちらがII型と呼ばれる。II型は距離計連動でレンズ交換もできる高級機、こちらのI型はニュートンファインダーを用いた目測式でデザインも類似点がない。両者の共通点は135フォーマット(通常のパトローネ入り35mmフィルム)で24×24mmの正方形画面が撮れること、そして特徴的な巻き上げ機構にある。I型ではレンズ前板の左上に突き出したレバー(当時の日本では「招き猫」と呼んだらしい)を押し下げるとフィルム給送とシャッターチャージが完了する。レンズはノヴァー・アナスチグマット35mmF3.5、安価なノンコートのトリプレットだが驚くほど先鋭な像を結ぶ。

FUJIFILM FinePix F810で撮影

スクエアフォーマットの誘惑 #13

 ハッセルブラッドの黄金時代、と書くとそれは過日のことのように思われるけれど、もちろんこの栄光の名を戴くカメラは今も健在である。ただしそのブランドがある種の神話性を持っていた時代といえば、やはり1950年代から60年代にかけてのディケイド、ということになるだろう。これを米国における商業写真の隆盛期と重ねあわせてビュアーに載せれば、このカメラが時代に与えた影響が透けて見えてくるはずだ。
 じっさい「ハッセル使い」と呼ばれる写真家は数多く、その多くが50〜60年代にもっとも意欲的な仕事をしている。ゾーンシステム*の考案で有名な風景写真家アンセル・アダムス、雑誌「ヴォーグ」で退廃のファッションを撮り続けたヘルムート・ニュートン、大型ストロボの人工光を写真表現に積極的に採り入れたリチャード・アヴェドン。こうした巨人たちの仕事を支えたのは、長らくスウェーデン製の四角い箱だったのだ。彼らは高度にシステム化された道具で次々に新しい表現を試み、時代を切り拓いていった……。

 と、こうしてどこかの雑誌記事から引き写したような事例を並べてみたところではじまらない。歴史にそれらしい意味を後から付けるなんて誰でもできるのだ。写真家の仕事をその道具で語るのはけっこう危うい行為だし、なんだか権威主義の片棒を担ぐような気もする。ここは趣味人間にありがちな天の邪鬼的行動原則に則って、ちょっと違う見方をしてみよう。
 僕は今でも不思議に思うのだけど、軍用カメラを母体に設計されたハッセルブラッドは本質的に高い機動力を持つ筈である。なのにこのカメラは報道写真の現場とはほとんど無縁であり続けてきた。たとえば上の黄金時代に照らしても、60年代の米国のどこかのパーティ会場に到着したハリウッドのセレブ達を、十重二十重にカメラマンが取り囲むシーン。そういう情況で被写体の背後に写っているのはほとんどがスピードグラフィック(米国グラフレックス社が開発した大判のフィールドカメラ)であり、ごく稀にローライフレックスの存在が看て取れるくらい。ハッセルはおろか、機動性で鳴らしたライカやコンタックスは影もカタチもない。これはいったい何故だろう。
 つまり僕が面白いと思うのは、この時代に「お金の取れる写真」を撮る道具として認知されていたカメラ、その棲み分けである。世紀を越えた今では過去の名機といえば猫も杓子もライカ。そのコレクションに飽きたらハッセルかローライに手を出し、それでも口座の残高があるなら旧コンタックスか旧ニコンでも、というのが趣味写真家の王道だ**。
 ところが職業写真の分野では、そういうブランドがステーキに変わるわけではない。いやブランド志向の強い島国なら白いご飯に変わったかもしれないけど、パワーゲームの国ではそういう価値観は通用しない。ライカなどの小型カメラ、つまりパトローネに入った135フィルム(いわゆる35mmフィルム)を使うカメラは、職業写真家にとってはいささか特殊な存在で、活躍の場はその機動性を活かせる報道分野、それも戦場などの苛烈な現場だった。そういう現場で重用されていた、といえば聞こえは良いけれど、追いやられていた、という見方もできる。
 ではローライは、ハッセルは?

●制作協力:脊山麻理子


*注:アンセル・アダムスが提唱した露出決定の技法。被写体の明るさとカメラの露出、そして印画紙の濃度再現の相関をシステム化したこの技法の確立により、それまでの写真技法(撮影時の勘に頼った露出、暗室作業における救済的プリント操作)を排除した「精密で、再現性の高い」モノクロ写真術が完成した。アダムスの手になるヨセミテ国立公園のファインプリントは必見、またアダムスの理論はのちにハッセルブラッドが露出機構として採り入れている。

**注2:ちなみに僕のようにチェコやロシア、東独などの旧共産圏製品や、西側でもビザールなカメラに熱を上げるのは邪道というか、ハッキリ言ってケモノ道を選んで歩くようなものである。クラシックカメラ熱が鎮静化した今ではこういう物件は不換紙幣のようなもので、置き場に困ったところで転売も難しい。読者の方はくれぐれも真似をされぬよう。


2004年09月15日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部