* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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今週はライツとツァイスを代表する大口径レンズの描写比較。ズミルクス50mmはライカの標準レンズとして1950年に登場、途中で一度フルモデルチェンジを受けて現在に至る。これは1961年製の初期型で、絞り開放付近ではアウトフォーカス部が渦を巻いたような独特のボケ描写を提示する。こういう背景は避けるべき。
Leica M3 + Leiz Summilux-M 50mmF1.4 FUJICOLOR New Pro400
(C)Keita NAKAYAMA



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基本設計は実に1930年代初頭というゾナー50mm。これは戦前に生産されたノンコート版、絞り開放ではややコントラストが低い。この点を気にする向きは戦後のゾナーや旧ソ連製のジュピター3を選ぶべきだろう。ボケはたいへん素直だが、周辺部の点像は独特の形状(口径食によるビネッティング)でかなり目立つし色収差も観察できるが、ピントは悪くない(この写真では被写体が微妙に動いたため甘い絵になっている)。
Zeiss Ikon Contax IIa + Carl Zeiss Sonnar 50mmF1.5 FUJICOLOR New Pro400
 (C)Keita NAKAYAMA





好きなカメラ、嫌いなカメラ #4

 ライカM3がカメラ関係の国際見本市、ケルン・フォトキナに登場したのは1954年秋のこと。先行するコンタックスIIa/IIIa(ツァイスは戦前型に倣い、露出計を内蔵するIII型の発展形を用意した)に遅れること5年だが、この年月にはそれ以上の重さがあった。技術が進化するための時間というよりも、戦禍で荒廃したドイツ工業が立ち直るための余裕という意味で。
 じっさい、今に続くM型ライカの端緒となるM3の仕上がりは見事なものである。一軸不回転式のシャッターダイヤル──すなわちシャッタースピードを設定するダイヤルが単一の部材で、しかも回転しない機構──は戦前コンタックスに二十年以上も遅れての採用だったが、他は当時の技術水準を遥かに凌駕するギミックが満載されていたのだ。
 なにより特筆すべきは、交換レンズを購入する顧客に向けた心配りだろう。それまでのライカの手間のかかるスレッドマウントを廃し、新たに採用したバヨネットマウント(これも戦前コンタックスがすでに採用していたが、使用感は独特でやや実用性に欠ける)は現代にも受け継がれるスマートな機構だし、ファインダーも複数のレンズに対応する視野枠内蔵の一眼式となった。しかも精密なパララックス自動補正機構が内蔵され、撮影者は被写体に寄ったときに生じる視差を頭で補正する必要がなくなった。
 ちなみにM型のMとは「メス・ズーハ」(計測ファインダー)の頭文字とも、また“More rapid, More convenient, More reliable”のMとも言われるが、その一文字は世界の写真家に夢の実現を意味し、またカメラ設計者には別の夢をもたらした。ようやく後ろ姿を捉えた前走者が、実は何周も先行していたという悪夢である。

 と、いろんなカメラ本に繰り返し記されるM型ライカ誕生時のエピソードだけど、スーパーコンピュータの性能がほんの十年でご家庭のパソコンに追い抜かれる時代には、べつだん騒ぐほどのこともない。言ってみれば戦前から戦後にかけてのライカ 、通称“バルナックライカ”の機能が、1950年代の水準で古すぎたということだろう。
 つまりライカはコンタックスに二十年遅れて、ようやく今に通用する意匠を手に入れたのだ。ではここから両者のライバル関係はふたたび加熱したのだろうか。その話の前に、ちょっと時計の針を戻してみよう。

●モデル:野口早依子


2005年02月09日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部