* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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戦中戦後の十数年、ライカの「明るい標準レンズ」として親しまれたズミター(ズミタール)50mmで。設計年次の時代背景からか、硝材よりもレンズ設計で性能を出そうとしたようで、前任者のズマールや後継者たるズミクロンよりクセのある描写をする。それを承知で楽しむなら良いレンズだ。
Leica IIIg + Summitar 50mmF2
(C)Keita NAKAYAMA



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美しい「エバレディ・ケース」を纏(まと)ったライカIIIg。ライカの沈胴レンズは工作の良いものが多く、なかでもこのズミターはもっとも手のかかった造りだと思う。市場に出回っているズミターは年式相応の「ヤレ」が多くみられるが、この個体は鏡胴・ガラスともに最良のコンディション。コーティングも新品に近く、これが僕にズミターの本当の性能を教えてくれた。ライカ純正の革ケースに付けたストラップはさる名人の手になる新品、その顛末は次号以降にて。
(C)Keita NAKAYAMA





『職人の革ケース #1』

 旧いカメラを使っていると、自分もしだいに古くなっていく。
 それは老化とは違う。カメラ趣味の退行現象とは、おおむね肉体を離れたところで起きるものだ。カメラに同化して時代を逆行していくと、写真と向き合う姿勢とか、写真機とのつきあい方が変わる。カメラが生まれた時代の考え方、価値観が、既成概念という皮膚を溶かして染みこんでくる。
 僕にそのことを教えてくれたのが革ケースだ。

 旧いカメラには革ケースが付属していることが多い。往時、新品で売られていた頃はボディとレンズとケースがセットで販売されていたのか、またはケースに入れて使うのがお約束だったのだろうか。カメラが今よりずっと高価だった時代の名残りだろうけれど、旧いカメラを買いはじめた頃は、これが爺クサく思えて仕方がなかった。
 断っておくと、僕はカメラをけっこう丁寧に扱う方である。プロの写真家にはカメラ機材を道具と割り切って、傷や凹みはむしろ勲章とする風潮もある。でも僕は傷だらけのカメラで自分の写歴を語ろうとは思わない。といって、新品真っさらのカメラというのも「おろし立てのスニーカー」みたいで落ち着かない。適度に使い込んで持ち主の身体に馴染んだカメラが理想だけど、これはお金では買えないものだ。
 この連載で採り上げるような古典カメラの場合、誰かが刻んだ歴史を引き継げるから、それはそれで手っ取り早い。ただし正直なところ面白くない。だからなるべく綺麗な物件を探して使い込む。それには革ケースなど邪魔なだけだ。
 というのは表向きの理屈。僕が古典カメラを使いはじめた頃は、金属製のカメラを首から裸で吊すのがファッションだったのだ。それまで革ケースなど使ったこともなかったから、ネイキッドな金属カメラに違和感はなかった。

 考え方がすこし変わったのは、バルナックライカを使いはじめたためである。このタイプのライカはおよそ30年ほどの長きにわたって造られたので、どの機種を選ぶか、選択肢には事欠かない。僕は今のところ距離計のないIcと最終型のIIIgを使っていて、どちらもなかなか不便で良いカメラである。
 ゆいいつの不満はシャッター音だった。


2005年04月13日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部