* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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地下鉄駅で見かけたムスリムを、階段を上りながら撮る。レンズは2005年の現在に話題のプラナーZM、ツァイスが設計したライカMマウント互換モデルだ。普通に使えばいかにも最新鋭レンズのクリアな描写(やや冷調)で破綻がない。ここではアウトフォーカス部の滲みを意識して絞りを開けた。ソウル・南大門市場にて。
Leica M5 + Carl Zeiss Planar 50mmF2 / FUJICHROME Astia100F
(C)Keita NAKAYAMA



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市場の人混みのなかで。こういう写真ではレンズの描写性などあまり重要ではない。では何を使っても一緒だろうか? その答えを見つけるのも容易でなく、実はその点に写真(機)趣味の面白さがある。
Leica M5 + Carl Zeiss Planar50mmF2 / FUJICHROME Astia100F
(C)Keita NAKAYAMA





『ライカとナチュラな日々 #1』

 気付かずにいたら連載は四年目に突入していた。ここまでお読みいただいたすべての読者と編集に携わった方々、そして拙い写真の被写体を務めてくださったひとたちに改めて感謝しつつ、今回はすこし違ったテーマとさせていただきたい。温故知新の古典カメラ礼賛を続けていると、自分の足もとがいささか不確かになるからである。

 写真趣味と写真機趣味は別の世界に属している。ふたつの世界は次元を異にするわけではなく、同一の地平に横たわっているけれども、その境界はいつも曖昧だ。それぞれの領域を自在に行き来できるひとは滅多にいないし、自分がどちら側の住民か、それすら自覚できないひとが多い。
 こういうノマッドたちに便宜を図る目的で、国境付近にはグレーゾーンともいうべき緩衝地帯が設けられている。なるほど遊牧の民には居心地の良い場所だけど、いつまでも自己の属性を曖昧にしておくといずれ進退窮まるような気もする。
 この連載をはじめた頃の僕は写真機趣味につま先あたりしか踏み込んでいなかったので、機材の棲み分けもけっこうきちんとしていた。それがいつの間にか腰のあたりまで(上には上がいるものだ)浸って、旧い機材も増えるいっぽうである。こうなるともういけません、「このレンズならこういう写真が撮れるのでは」と手段から強引に結果を導きだそうとする。
 写真機趣味もいろいろだけど、僕のように古典カメラを愛好する層はとりわけこうした傾向が強いと思う。クセのある描写や手順の多い操作を面白がるあまり、写真表現よりも機材表現を優先してしまうのだ。
 あえて贔屓目にみれば、これは知的好奇心ゆえに生じる曲折といえるかもしれない。また写真の表現を真摯に追求するなら、手持ちの機材に知悉しておく必要もある。でも、これは自戒を込めて書くのだけど、旧いカメラやレンズの性質が表現上の必然として備わった写真作品というのも、そう滅多にお目にかかれるものではないのである。

 道具から入るのは悪いことではない。問題はその先だ。撮りたい写真が見えているのに機材の呪縛から逃れられず、結果いつまでもグレーゾーンから抜け出せない。そんな自分に疑問を感じたら、どこかで機材の山を崩して前に進むべきなのだ。


※中山さんの撮影現場やご自宅に潜入取材をした・・・

 ◆今週の『中山さんが動クンです!』



2005年06月08日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部