* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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ソウルの地下鉄駅にて、レンズの性能差がほとんど現れないブレ写真を撮る。かの蜷川実花さんの名言「カメラなんて何使っても一緒!」を実感するのはこんな時だ。ちなみにこの言葉には「大切なのは○○○だよ」という意味があるはずだけど、それは行間に伏せられている。 Leica M5 + Summicron35mmF2 / FUJICOLOR Reala ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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ふと目にとまった光景に反応してレリーズする。その僅かな時間にどれだけ意志を込められるか、カメラをマニュアルで操作する面白さはこの一点にある。
Leica M5 + Summicron35mmF2 / FUJICOLOR Reala ACE
(C)Keita NAKAYAMA





『ライカとナチュラな日々 #3』

 完全なマニュアル機であるライカM5と、コンパクトなボディに自動化した撮影機能を詰め込んだナチュラS。まるで対照的な両機の比較にいったいどんな意味があるのか。それを書くと結論が見えてしまうのだけど、誤解を避けるためここで記しておくことにしよう。
 本稿の「つかみ」で書いたように、写真には機材にこだわる趣味と、撮影結果にこだわる趣味のふたつがある。写真は光学と工学と化学の助けを借りてつくられる芸術だから、他のアート分野に比べるとテクニカルな要素が多くなるのはやむを得ない。カメラの歴史はそういう要素をいかに排除して、つまり面倒な理論やお作法を学ばずに撮影に集中できるか、それを追求して綴られてきた。
 ライカM5とはその進化の過程で生み出された機械であり、それ以前の機械式カメラに比べると操作はずっとスマートになったものの、撮影には依然としてひとの意志が介在する。対するナチュラSは撮影の自動化をほぼ完全な形で成し遂げており、マニュアル操作は必要最低限の項目が(それもデフォルトでは伏せられた状態で)提供されるのみ。いわば人知の介入を拒否したカメラなのだ。
 もちろんこの両機を写真機趣味と写真趣味、それぞれに最適の道具と位置づけてしまうのは短絡だろう。でもふたつのカメラを使うことで、両方の趣味領域に欠けた部分も明らかになるのではないか? それが見えてくれば、いつまでもグレーゾーンに安住する自分の進む方向も明らかになるような気がする。
 とまあ、例によって後付けこじつけっぽい理由を並べているのだけれど、両機を選んだ最低限のこだわりというものもある。それはこの先に記していくことにして、論を進めていこう。

 先にライカM5は進化の過程で生み出されたカメラと位置づけた。これは間違いではないと思う。でもライカの歴史では必ずしもそうではなく、むしろM5は進化の幹から外れたちいさな枝がつけた「異形の果実」である。なぜそうなったのか、話は今から三十年余の昔に遡る。


※中山さんの撮影現場やご自宅に潜入取材をした・・・

 ◆今週の『中山さんが動クンです!』



2005年06月22日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部