* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


写真
---> 拡大表示

「運河にて」その1。被写体とロケーションと天候と撮影時刻、すべての条件が揃ったカット。ゆいいつ自分の影には気付かなかった。
Leica M5 + Summicron 35mmF2 / FUJICHROME Astia100F
(C)Keita NAKAYAMA



写真
---> 拡大表示

「運河にて」その2。ナチュラSのレンズは現代的なピント面とレトロな後ボケの二面性が面白い。
FUJIFILM NATURA-S + Super EBC FUJINON 24mmF1.9 / FUJICOLOR Reala ACE
(C)Keita NAKAYAMA



写真
---> 拡大表示

ズミルクス75mmF1.4。1980年のM4-P発表に合わせて登場した大口径レンズで、最短での被写界深度はM型用レンズとしてもっとも薄い。設計製造はカナダライツ(現在は独ゾルムス製ということになっている)。M5へのレトロフィットももちろん可能だが、この画角に対応する視野枠を持たないため正確なフレーミングはできない。fatなボディにfatなレンズは見た目のマッチングが良いものの、過大な重量や視野のケラレ、ピント精度など実用にはいろいろ困難が伴う。それを承知で使いたくなるのは何故だ。
(C)Keita NAKAYAMA

『ライカとナチュラな日々 #7』

 歴史をあつかうテキストに「背水の陣を敷く」あるいは「社運を賭す」とはよく使われる言い回しである。人の営みに過剰な劇性をあたえることの是非について、いろいろ意見が分かれるところだろう。だがそういうことに懐疑的な僕でも、ライカM5にはつい大仰な表現を使いたくなる。それは旧き佳き時代の覇者が来たるべき時代を模索した力作であり、ある意味で「最後のM型ライカ」だからだ。

 70年代を迎え、独ウェッツラーで完成したM5は堂々たるカメラとなった。そのデザインに「一眼レフを超える」という意志が込められていたか、それは定かでない。だが単に大型化(従来のM型に比べておよそ1センチ幅広く5ミリ背が高く130グラム重い)しただけでは得られない風格とオーラがこのカメラにはある、というのは偏狭なオーナーの贔屓目だろうか。
 M5のキモである露出機構と操作感については後述するとして、その造形をすこし詳しく観てみよう。本機を手にするたびに実感するのは、他のカメラではなかなか得られない質量感と物量感である。そこにはオスカー・バルナックが描いた繊細なメカニズムの面影はすでになく、またM3を端緒とする古典的なカメラの美も求めることはできない。でも僕にとってこちらの方がずっとゲルマン的なデザインと感じるのは、張りのある面の力強さが漲っているからだ。
 じっさいライツ社のデザイナーは、このカメラに課せられた制約を見事に克服している。角張ったボディの両端は新規に付加された電気回路(延長されたボディ左手側に納められている)を要領よく納めるためであり、実は内部のシャシーはM4までのそれをほぼ踏襲しているのだ。おそらくこの時代のライツ社には、高価なダイカストの型を新たに起こす余裕はなかったのだろう。
 ゲルマンデザインの妙味は軍艦部の造形にも看て取れる。フラットな天面中央に置かれたフィルム感度設定ダイヤル(樹脂製=このカメラはそれまでのライカに比べ樹脂部品の比率が高まっており、これはコスト面よりも軽量化を意図した筈だ)の意匠はちょっと野暮ったい。でもこのあたりの造形は某ドイツ製の飛行機*にも似ていて、最近では少なくなった国籍を感じさせるデザインだと思う。
 ……とまあ、とかくサイズと重量が過大であると言われがちなM5だけど、ここは声を大にして擁護しておきたい。たぶん実機に触れれば印象を新たにするひとも多いと思う。

 閑話休題、こうしてライカ社にとって救世主となるべきM5は完成した。だがそのデビューの空を照らしたのは、ベツレヘムの星ならぬ凶兆だった。


※制作協力:脊山麻理子

*注:大戦中に活躍した夜間戦闘機、ハインケルHe219はフラットな胴体上部にM5のフィルム感度設定ダイヤルに瓜二つのアンテナ(PellG6圧縮方向探知アンテナ)を備えていた。同機の精密なスケールモデルは田宮模型から発売されている。


2005年07月27日掲載

<--Back     Next-->



Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部