* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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ナチュラSの露出計は外光式・反射光式というシンプルなものだが、普通に使って「大外し」することはまずないし低輝度にも強い。ただしこの写真はもう少し絞って完全なパンフォーカスとしたかった。単体露出計と深度スケールに照らしてフィルムを変えれば解決するけど、それも本末転倒という気がする。
FUJIFILM NATURA-S + Super EBC FUJINON 24mmF1.9 /FUJICOLOR Reala ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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「桟橋にて」その2。船酔いをしたようなカメラの振りは撮影者の癖。
Leica M5 + Summicron35mmF2 / FUJICOLOR Pro400
(C)Keita NAKAYAMA



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M型ライカの背面には露出関連の情報ディスプレイが置かれる伝統がある。M3〜M4までの露出インジケータ(実は単なる備忘録)に換わり、M5の円盤はスロー秒時の露出換算用計算尺として機能する。対するナチュラSの液晶ディスプレイは多彩なメニュー表示でカメラの設定をサポートする(設定中はバックライトの色が赤に切り替わる)。この画面を観てデジカメと勘違いするひとも多い。日付や時刻まで教えてくれる優れモノだが、露出の情報はどこにも存在しない。
(C)Keita NAKAYAMA

『ライカとナチュラな日々 #10』

 1971年のデビューから少なくとも丸二年の間、M5はそれなりの販売成績を残した。口さがない評論家やうるさ型の愛好家から「弁当箱」の蔑称を奉られようと、このカメラは真摯な写真家の支持を得ていたのだ。
 それがなぜ短期間で生産中止となったのか。これは為替相場の激変に続くもうひとつのショックに原因があるようだ。1973年10月に中東で勃発した戦争は原油価格の急激な高騰を招き、工業製品の製造現場に影響をあたえる。特にカメラ業界は深刻だった。硝材を坩堝(るつぼ)で溶解して成形するレンズ製造は、石油価格の影響をもろに受ける。これが原因で日本でも多くのメーカーがカメラ業界から消えていったという。

 おそらくM5をはじめとするライカのカメラづくりは、その高価格にもかかわらずほとんど採算割れの状態にあったのだろう。オイルショックの翌年、ライツ家は持ち株をスイスの計測器メーカー・ヴィルド社に譲渡し、エルンスト・ライツの経営から退く旨の発表をする。
 この買収劇において、新オーナーの目的がライカのカメラ部門にないことは明らかであった。ライツ社の成り立ちはもともと顕微鏡の製造にあり、カメラとは別に優秀な光学計測器の開発製造部門を抱えていたからだ。じじつヴィルト社はライカカメラの製造を次々に打ち切り、75年にはポルトガル工場の「ライカR3」(日本のミノルタから技術供与を受けて開発した一眼レフ)、および西ドイツから北米カナダに移設して再開したM4製造ラインが残されるのみとなった*。
 ライカM5はこうして表舞台から去っていく。1971年の発売から74年の生産中止までにつくられたM5の総台数は34400台。あのオスカー・バルナックの試作機からはじまったウェッツラーのカメラづくりは、こうして終焉の時を迎えた。

 ライカはけっきょく日本製一眼レフとの競争に敗れたのだろうか? たしかにそれも一面の真実だろう。でもそれはカメラ業界というちいさなコップのなかの出来事に過ぎない。目線をもっと引いてみれば、そこには正義のない戦争に疲れ切った大国があり、その経済の低迷による為替相場の激変と輸入税の高率化という向かい風があった。そういう時代のマーケットに投入されたM5が年に1万台も売れた事実は(2千ドルもの正札をぶら下げていたことを考えれば)、むしろ賞賛されるべきかもしれない 。
 よく知られているように、M5にはふたつの外装仕上げがある。伝統的なシルバークロームと、当時としては斬新なブラッククロームだ。どちらもそれぞれに支持する層がいるようだが、生産台数は後者が多く、これはマッシヴなボディを引き締めて見せる効果が好まれたからだろう。
 M5はエルンスト・ライツの「黒鳥の歌」だったのかもしれない。

※制作協力:脊山麻理子

*注:カナダライツ(初期の名称はエルンスト・ライツ・カナダ、後にこれを略した「エルカン」を社名とする)は1952年にオンタリオ州ミッドランドに創設された現地法人。初代社長はライツ家の三男ギュンター・ライツ。同社は独ライツとの協調でカメラ・レンズの設計と生産を受け持ち、特に70年代後半から80年代初頭にかけてはシネ用レンズと並行してM型ライカの製造と主要なレンズ開発を一手に引き受けていた。1990年に米ヒューズ・エアクラフトの傘下となり、90年代後半には米防衛産業の大手レイセオン社(パトリオット・ミサイルの製造元)に買収される。エルカンは現在も民生、業務および軍需向けの光学機器を手がけているが、ライカカメラ用レンズの生産は独ライカ社に戻りつつあるようだ。


2005年08月24日掲載

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