* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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ナチュラSのレンズはコントラストが高く、モノクロもなかなか素敵な描写をする。被写体は知人のグラフィックデザイナー・ヨーコさん。画面周辺は焼き込み処理をしている。
FUJIFILM NATURA-S + Super EBC FUJINON 24mmF1.9 / FUJIFILM Neopan100ACROS
(C)Keita NAKAYAMA



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原宿のヘアサロン「boy U」のイケメン君。凄く良い目をしていたのでお願いして撮らせていただいた。これも最近のお気に入りの一枚。
Leica M5 + Summilux75mmF1.4 /FUJIFILM Neopan100ACROS
(C)Keita NAKAYAMA





『ライカとナチュラな日々 #12』

 ところで工業デザインの分野における命題のひとつに“blind touch”というものがある。読んで字のごとく、いや多少の意訳をすると「対象物を観なくても扱える操作性」を目指すマン=マシン・インターフェイスのことだ。
 たとえばクルマで高速を走っている最中、いきなり渋滞に出くわしたとしよう。運転者は反射的にブレーキを踏みつつ、センターコンソールに手を伸ばしてハザードを点滅させ、後続車の注意を喚起しようとする。ここで操作部材が皆おなじ形状をしているとどうなるか。いきなりヘッドライトにウォッシャー液を浴びせたり、エアコンから熱風が吹き出したりして肝を冷やすことになる(かのピニンファリーナがデザインしたアルファ164などはこういう間違いをしでかし易い)。
 ではどうすれば良いかというと、とりあえず操作部材の色や形状に差を付ける。これはもっとも初歩的なやり方で、もう少し進むと「重要なスイッチはなるべく手元の操作しやすい場所にまとめて置く」手法に発展する。おなじくイタリア工業デザイン界の重鎮、ジョルジェット・ジュージャロ*などは一時期ありとあらゆるスイッチをステアリングのパッド上に配置する提案を行ったが、これもまぁ過ぎたるは……というところ。
 人間が機械を直感的に操作するうえでの最適解というのは、かように見つけにくいものなのだ。

 カメラの場合、幸いにして命にかかわるほどの操作はないのだけれど、写真の生命線である露出については昔からさまざまな試みが行われてきた。特に電気露出計を積んでからのカメラはあまたの試行錯誤を経て、今のところは例の電子ダイヤルがもっとも進んだ方式とされている。ふたつのダイヤルをそれぞれシャッター速度と絞りのコントロールに割り当てるあの方式だ。
 これはたしかに扱いやすい。ファインダーから目を離さずに露出が決定できるし、カメラをホールドした指の一部を動かすだけで露出に意図を込められる。問題があるとすれば、この優れた操作系と情報伝達系がシステムの一部にがっちりと組み込まれていることだろう。現代のカメラは多機能を整理する必要から、いささかロジカルになりすぎている嫌いがある。
 もともと写真の露出というのは、人間の直感に響きにくいものである。ピントや巻き上げはほとんど考えずに操作できるけれど、露出はそうはいかない。特に僕のように修練が足りないと、意識の水面に近いところで機能とロジックと表現が論争をはじめる。静かに、しかし無視できない程度の音量で。
 この争いを諫(いさ)めるには、なるべく操作部材と視覚情報は少ない方がいい。ではどれくらいが適当か、という問題を深く考えさせてくれたのがライカM5であり、併用したナチュラSなのであった。

*注:日本では慣例的に「ジウジアーロ」と表記するが、十数年前に本人に確認したところ「ジュージャロ」が近い。大衆車からスーパーカーまで傑作を多くものにするカーデザイナーで、カメラの世界ではニコンF3からF6までを手がけたことで知られている。個人的には“リトルニコン”EM(もともとこのデザインがF3になる筈だった由)の造形が秀逸と思う。


2005年09月07日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部