* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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2006年最初の一枚はライカフレックス用ズミクロン50ミリで。およそ40年前に設計された地味なレンズ(僕の手元にあるのは1970年製)だが、体感性能でこれを上回るものには未だに巡り会えない。
Leicaflex SL + Summicron 50mmF2 / FUJICHROME ASTIA100F
(C)Keita NAKAYAMA



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カメラは旧いままだけど彼女は逢うたびに進化している。今年もよろしくお願いします。
Leicaflex SL + Summicron 50mmF2 / FUJICOLOR NATURA 1600
(C)Keita NAKAYAMA



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バルダ・スーパーバルディナ。西独バルダ社が小型カメラ「バルディナ」の進化形として1956年にリリースした中級カメラである。イタリアの愛称風の縮小辞が付いた名称とゲルマン的モダンデザインとのミスマッチ感が微笑ましい。シンメトリカルなボディに載せた等倍ファインダーや絞りとシャッター速度を関連させるLVシステム(ただし露出計は非装備)など意欲的な設計が目を惹くが、最大の特徴はボタン操作でポップアップする金属鏡胴。写真のように沈胴させた状態ではとてもコンパクトで扱いやすい。シャッターはプロンターSVSでスローも装備、レンズのバルダナー50ミリはなかなか味わい深い描写だ。
(C)Keita NAKAYAMA

『ハレ、時々クモリ #5』

 あけましておめでとうございます。

 旧い写真機と付き合いながら重箱の隅をつつくこの連載も、どうにか四度目の年明けを迎えることができた。毎度定型のフレーズを繰り返すようで恐縮だが、これも読者の方々のご支持と編集諸氏のサポート、そして素晴らしい被写体に恵まれたお陰である。心よりお礼を申し上げたい。
 それにしてもこの四年を振り返ってみて実感するのは、古典カメラ趣味というものの奥深さだ。これまで手にしたどのカメラたちからも、写真文化と真摯に向き合ってきたひとたちの思想やプライドが透けて見える。彼らの創意工夫の結果は(撮影の制御が電子化された)今のカメラには及ばないものだけれど、機能面の不備は撮り手がいくらでも埋められる。いやむしろ、あれこれと足りない部分を埋め立てながら使うところにこの趣味の面白さがあるといってもいい。
 時代の流れで、旧いフィルムカメラはもうこれ以上は旧くならないことが決まってしまった。だから安心してつきあえるし、かつて「一生もの」だった写真機材はまだまだ健在な機種が多い。この連載がそういう道具たちを救うささやかなきっかけとなれば幸いである。

 さて、おせち料理を食べ飽きたところで「重箱の隅を突く」という喩えについて。これは過剰な行為を戒めた日本的な比喩で、「枝葉末節」のような硬さがないところから、口語にもよく馴染む表現である。特に重箱という語感がいい。あの黒と朱の艶やかな漆器はハレの場を予感させ、その隅に残った食べ物をつつく行為とのミスマッチ感が強調されるからだ。
 そう、物事なにごとにもTPOがある。ハレとケ、つまり非日常と日常それぞれの有り様をわきまえて行動するのが大人というもの。だからこの重箱の喩えは、カメラとの節度ある付き合い方を示唆しているのである。
 ……などと、僕が書くと呆れるほど説得力がないのだけど、写真用レンズも良く写ればいいってもんじゃない。さいきんの製品に顕著な傾向として、なまじっか基本性能が高いばかりに些細な粗がどうにも目に付く。ぴしっと直角が出た重箱に詰めた料理は取り残しが目につくのといっしょだ。一種の贅沢病かもしれない。
 これが紙の折りにでも入っていれば、四隅に残った料理もたいして気にならない。豪華な幕の内や高級料亭謹製のおせち料理じゃなくて、純白のご飯のど真ん中に眼に鮮やかな梅干しを載せて、まわりに胡麻を散らしたプレーンな駅弁が無性に食べたくなることもある。そういう気分にお勧めなのが「三枚玉」トリプレットである。

※制作協力:脊山麻理子


§東京レトロフォーカス読者プレゼント§


日頃のご愛読に感謝して、左の画像のクラシックカメラ「バルダ・スーパーバルディナ」を読者1名様にプレゼントします。(応募締切:2006年1月16日)
この連載の感想を添えて、応募は-->こちらから。


2006年01月05日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部