* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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初代エルマリート19ミリの最短距離は30センチ弱。最新の同スペックレンズに比べると自慢できる数字でもないが、それでもフード装着時のワーキングディスタンスは15センチ程度しか残されていない。
Leicaflex SL + Elmarit 19mmF2.8 / FUJICHROME ASTIA100F
(C)Keita NAKAYAMA



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よく動く被写体を最短付近で撮るのは難しい。ピントリングに頼らず、カメラごと身体で動いて撮ろう。
Leicaflex SL + Elmarit 19mmF2.8 / FUJICHROME ASTIA100F
(C)Keita NAKAYAMA



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彫刻的な造形を見せるライカフレックスSLの軍艦部。単純な平面と柔和な曲面を巧みに採り入れたデザインには日本製とあきらかに異なる表情がある。露出計スイッチを兼ねた巻き上げレバーはごく僅かに引き出すだけで電源が入る。予備角は通常よりかなり深めに設定されており、ボディと直角に引き出したところで巻き上げスタンバイとなる(顔面とレバーの干渉を防ぐため)。操作部材の精密で上質な感触は現代のカメラに求め得ないもの。
(C)Keita NAKAYAMA

『サンクチュアリ #2』

 特定の製品がメーカーの顔になってしまうことがある。たとえばポルシェなんかがそうだ。山口百恵の歌に出てくる真っ赤なクルマ、あれはどう考えたって911に決まっている。あの歌が世に出た時代から今にいたるまで、他のモデルを想像する人はまずいなかったはずだ。
 ライバルメーカーには羨ましい限りだろうが、企業としてこれは痛し痒しというところだろう。他の製品の影が薄くなるだけでなく、当の人気機種もモデルチェンジが難しくなるからだ。
 カメラの世界ではライカといえばM型、それもM3に代表されるクラシカルな意匠の系譜を指すことになっている。「お使いのカメラは何ですか」「はい、ライカです」M型である。「はい、ライカの旧いモデルです」これはバルナック。ここまではフツーのコミュニケーションが成立しやすいし、その後の会話も弾むだろう。
 それが「ライカの一眼レフを使っています」と答えたらどうなるか。「ほぅ、それは珍しい。ところで……」と、会話が尻窄みになるか、または思いっきりオタクな方向に進んでしまう筈だ。ポルシェに乗るなら911の系譜を選ぶのが正しいクルマ好きの姿であって、ミドエンジンの914や916に惹かれるのは余程のマニアか変人である。
 ライカの一眼レフというのは、そういう「閉じた場所に置かれたカメラ」なのだ。

 西独ヴェッツラーに本拠を構えるエルンスト・ライツ有限責任会社が、自社の写真関連製品に一眼レフカメラを加えるという噂は1960年代の初頭から流れていた。同社はこの時点で精密光学機器の製造におよそ一世紀の歴史を持ち、世界最高レベルの小型カメラを製造していたのだが、それは距離計連動カメラを中心とするシステム群であったから、一眼レフへの進出もしごく当然の成り行きと受け取られた。
 誰もが買えるような値段ではないにせよ、高品質なカメラづくりに定評のあるライツ社である。裕福な愛好家や商業写真家が寄せる期待はおおきかった。いや、極東のカメラメーカーがいだく畏れはもっとおおきかったかもしれない。M型ライカの登場から10年たらず、あの精緻な技術を載せた一眼レフは、またしても日独の格差をひろげてしまうのだろうか?
 結果はご存知のとおり、愛好家の期待は落胆に、ライバルたちの畏怖は杞憂に終わった。1965年に登場した「ライカフレックス」は日本製一眼レフに機能面でおよそ10年の後れを取っていたからだ。その日本では(このブランドへの信頼が信仰の域にまで達していたためか)「条件付きの好意的評価」を得ていたものの、なかには「ライカの名に恥じぬのは精密な工作とプライスタッグだけ」と揶揄する声もあったという。評価は分かれたが、主要なマーケットである米国市場での販売は振るわなかった。
 なぜライカは失敗したのか。いやそれは本当に失敗作だったのか、それとも一部のマニア向けに閉じたカメラだったのか。答えはやがて登場する次世代機で明らかになるはずである。

※制作協力:脊山麻理子



2006年02月08日掲載

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