* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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ライカの広角レンズを代表するズミクロン35ミリで。同名のレンズはM型用と同様に数世代を重ねており、これは1972年リリースの最初期型。ご覧のように絞り開放付近から破綻のない描写である。
Leicaflex SL2 + Summicron 35mmF2 /FUJICOLOR Reala ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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南欧風の壁面を借景する。画面中央と周辺の解像感に落差があるのはこの時代のレトロフォーカス型超広角レンズの宿命か。
Leicaflex SL2 + Elmarit 19mmF2.8 /FUJICHROME ASTIA100F
(C)Keita NAKAYAMA



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破綻はあるが、どことなく愛嬌のあるデザインの初代ライカフレックス。僕の手元にあるのは後期型で、前期型とはフィルムカウンターや三脚座の意匠、そして露出計スイッチの有無などに異同がある。いわゆる「フレックス系」ボディのなかでもこの機種は特に凝った機構設計がなされており、対称形超広角レンズに対応するミラーアップ機構(セルフタイマーレバーの右側ノブで設定する)などはフレックス以後のR型を含めて他に採用例がない。
(C)Keita NAKAYAMA

『サンクチュアリ #5』

 短命に終わった初代ライカフレックスは、今では「一眼レフの本質を見誤った失敗作」という評価が定着している。これに先だって登場したM型ライカが、今の目で観てもある種のスタンダードたり得るのとは対照的である。まぁ人間のやることだから、偶にはハズレもあるだろう。
 過剰な期待を寄せていた当時の愛好家は落胆したかもしれないけど、今の古典カメラ趣味ではこのハズレ感が愉しかったりする。とはいえ僕のようにハズレ感ばかり愉しんでいるのもどうかと思う。そこでライカフレックスの長所に目を向けてみよう。

 誰もが(このカメラをレビューするひとはあまりいないけれど)口を揃えて褒めるのがレリーズと巻き上げの感触だろう。前者はボディの重量感とは正反対に驚くほど軽く、かつショックがちいさい。これは強靱なダイカストの骨格と、これに支えられて動くムーヴメントの相対的な質量差が効いている筈だ。初代ライカフレックスはライツ社の歴史上はじめての「裏蓋が開くカメラ」であり、強度の不足を補うべく? シャシーは耐火金庫のように頑丈なつくりなのだ。しかもライツ社はここでかなり凝ったことをやっている。
 通常のSLRでは、ミラーショックを抑える方法として緩衝材の粘弾性を利用することが多い。ミラーの停止位置の四辺にスポンジ状の素材を貼り付けて、そのスチフネスで衝撃を吸収する(=運動エネルギーを熱に変換する)やり方で、これは今でもポピュラーな手法だ。ところがライカフレックスでは、こうした緩衝材はどこにも見あたらない。ではミラーの運動エネルギーはどこに消えるのか。
 発売当時にこのカメラを分析した日本の雑誌記事によれば、これはボディに仕込まれたメカニカルなブレーキとダンパーがショックを吸収しているのだという*。要約すると、ミラーは上昇する途中でミラーボックスから突き出た一本のピンを押し上げる。このピンはシャッターを起動するトリガーになっており、同時にミラーの上昇速度を減殺する役割を負っている。また勢いを削がれたミラーは定位置でぴたりと止まるのではなく、いったん定位置を超えたところまで行きすぎてから僅かに戻るのだそうだ。
 この仕掛けはレンズを外せば見ることが出来るけれど、目を凝らして観察しても動きの変化はまず看取できない。でも手に伝わる感触は確かに上質で、佳き時代の「ライカらしさ」に満ちている。いっぽうその見返りとして部品点数は増えるし、製造も調整も手間がかかることは間違いない。
 ライツ社がなぜこんな面倒なメカを採用したのかといえば、それはやはりM型ライカの存在がおおきかったのだろう。例の空中像式ファインダーとおなじく、この部分の操作感もM型のそれを目標に設計が進められた筈である。……つまり設計者の志は高く、それを達成する技術レベルはさらに高かった。問題はその「ライカらしさ」にお金を払うひとの数が、それほど多くないということなのだ。今も昔も。

※制作協力:クニトウマユミ

*注:「アサヒカメラ」1965年10月号・ニューフェース診断室より。


2006年03月15日掲載

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