* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


写真
---> 拡大表示

知人から借用中の大口径80ミリで。絞り開放ではピント的中率が低く、かなり気合いを入れて合わせたつもりでもアガリは微妙に後ピンだったりする。ボケを観ようとしなければM型ライカ+75ミリF1.4(レンズ構成も描写性もよく似ている)の方が実用性は高い。
Leicaflex SL + Summilux 80mmF1.4 / FUJICHROME ASTIA100F
(C)Keita NAKAYAMA



写真
---> 拡大表示

マクロエルマー100ミリF4、絞り開放。現在はより明るく収差の少ないアポ・マクロエルマリートF2.8に置き換えられてしまったが、花などを撮らない僕にはこれで充分。というよりこの発色と軟らかさが好きなのだ。
Leicaflex SL + Macro-Elmar 100mmF4 / FUJICOLOR Pro400
(C)Keita NAKAYAMA



写真
---> 拡大表示

MとR、新旧二本のマクロエルマー。ライカのレンズ呼称は伝統的に口径比=開放F値でグループ分けされており、ツァイスのようにレンズ構成を暗示するわけではない。すなわち「名が体を表さない」命名法なのだが、ひとりエルマーのみは三群四枚のテッサー型光学系というお約束を頑なに守り続けてきた。これは初代エルマー(1920年)を開発したマックス・ベレークへのオマージュか、と思ったら最新のM用90ミリはこのルールから外れている。テッサー型はすでに開発され尽くしたということだろうか。上がヴィゾフレックス/M用65ミリF3.5、下がライカフレックス/R用100ミリF4。
(C)Keita NAKAYAMA

『サンクチュアリ #7』

 1968年に登場したライカ一眼レフの第二世代「ライカフレックスSL」は、それなりに成功したモデルといえた。初代で悪評紛々だった外部測光と空中像式ファインダーはそれぞれTTL測光と全面マット(正確にはマット面ではない。この件は後述する)のスクリーンに置き換えられ、先行する日本製一眼レフと機能面で肩を並べたからである。
 もともとカメラとしての基本性能は高い水準にあったから、こうした細部のアップデートだけで競争力が得られる。ライツ社はたぶんそう考えた筈だし、じっさいに市場の反応も悪くなかった。
 例によってライツ社が公表している生産台数を追ってみると、SLはスタート後の数年間でほぼ年産1万〜2万台のペースを維持している。生産の立ち上げ当初は店頭在庫等の需要もおおきく、メーカーもそれを見越して多めに生産するものだが、いずれにせよ初代フレックス(4年間で32500台の生産にとどまった)よりは販売好調とみていいだろう。
 もっとも当時米国で一眼レフを売りまくっていた日本のメーカーに比べれば、これはたいしたことのない数字である。だがライツ社の企業規模と彼らがSLに付けた正札*を見れば、じゅうぶん以上に健闘したというべきではないだろうか。

 こうして正常進化を遂げたSLであったが、もしこのカメラが中途半端な印象を与えるとしたら、それは初代フレックスからのデザイン変更が最小限にとどまっているためだろう。両者の外観上の違いは底板と軍艦部両肩がかさ上げされたこと(新たにTTL露出計回路を内蔵したため)で、もちろんマウントとペンタプリズムの位置関係は不変だから、全体のディメンションは高さが3ミリ増しただけである。
 まぁ基本デザインを変え(られ)なかったのは、高価なシャシーダイカストを流用したためでもあるのだけど、変更点がすくないわりに、SLは初代にくらべて遙かにすっきりモダンなカメラに変身している。だがそのデザインはどことなく影が薄く、自信なさげにも見える。
 こうした印象は(外観上もっともおおきな変更点である)ペンタ部前面に付加された銘板に因るものかもしれない。モデル名の「SL」という刻印をちいさくあしらった角丸長方形の真鍮板は、後年のM5につらなる「ライカの新しい顔」ともいえる意匠なのだが、SLとSL2ではその裏側に置かれた露出計回路のサービスハッチも兼ねていた**。
 僕はいつも不思議に思うのだけど、ライツ社がこの部分に自社名またはブランド名を大書しなかったのはなぜだろう。エキザクタの昔から、ここはメーカーの広告宣伝スペースとするのがお約束だったのだ。特に60年代後半からは、カメラそのものがメディアに登場する機会がそれまでとは比較にならないほど増えていた。遠目にはっきりそれと分かるニコンFなどと比べれば、SLは目立たないカメラだったに違いない。
 だからこの部分を有効活用しなかったライツ社は、一眼レフの力強さを表現できなかったともいえるし、カメラブランドが一種のファッションとして一人歩きしていく時流を捉え損ねていたという見方もできる。あるいはライツの美意識ゆえだろうか? どうでもいいような話だが、この奥ゆかしきデザインがライカ一眼レフの将来を暗示していたことも事実なのだ。

※制作協力:クニトウマユミ

*注1:ライカフレックスSLの発売時、ライツ社日本総代理店シュミット社が付けた定価は332000円(ケース付き)。レンズを加えると軽く40万円を超える高価格カメラだった。ちなみに当時国産最高価格の一眼レフ「ニコンFフォトミックFTN」が50mmF2レンズ付きで72200円、大卒の平均初任給は29100円である。

**注2:SL/SL2のペンタ部前面に貼られた人造革をはぐると、三個のポテンショメーター(可変抵抗器)が顔を出す。露出計を調整するためのものだが、ネジ1本外さずにできるこの構造を親切設計とみるか、またはエレキに対する不信、あるいは自信のなさの表れとみるか。日本のメーカーならこんなことはしないから、たぶん後者が正解なのだろう。想像だが、ライツ社は初代ライカフレックスでこの調整に手を焼いたのではないだろうか。


2006年03月29日掲載

<--Back     Next-->



Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部