* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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前回に引き続き、M型ビゾ用マクロエルマーで。雨の日にも色温度が上がりすぎない、僅かに不透明なレイヤーが重なっているような描写は現代のレンズに求め得ないもの。僅かに後ピン。
Leicaflex SL2+ Elmar 65mmF3.5 / FUJICOLOR SUPERIA Venus400
(C)Keita NAKAYAMA



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慣れないと撮影距離とパース勘がなかなかつかめない65ミリ。「長めの標準」というより「短めの中望遠」と考えるべきか。
Leicaflex SL2+ Elmar 65mmF3.5 / FUJICOLOR SUPERIA Venus400
(C)Keita NAKAYAMA



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上掲作の画面中央部25%を拡大。あの先鋭なエルマー(=テッサー型)と同じレンズ構成とは思えない優しい描写だ。
Leicaflex SL2+ Elmar 65mmF3.5 / FUJICOLOR SUPERIA Venus400
(C)Keita NAKAYAMA

『サンクチュアリ #19』

 原稿を読み返してみたら、三週前に「ライカはファインダーだ」と囃しておきながら、前回はSLのファインダーを「設計ミス」とクサしている。読者から一貫性がないとお叱りを受けそうなので、そのあたりをきちんと説明しておこう。
 ライカのファインダーは見えが良い。これはバルナック時代からの伝統で、その明晰な視野は同時代のカメラたちと常に一線を画してきた。特にM型のファインダーは素晴らしく、これは初代のM3(半世紀も前のカメラだ)が今も第一級のファインダー性能を持っていることで証明済みだ。
 これに続く一眼レフの系列も、SL以降の青みがかった視野は好みが分かれるところだろうが、ファインダーそのものの見えはとても良い。ただしSL(とそれに続く多くの一眼レフ)の場合、その見えの良さは少なからぬ犠牲、すなわちピント検出能力との交換で得たものといえる。いわば「実を捨て見えを取った」わけで、この点は批判を浴びても仕方がないだろう。
 SLの焦点板がなぜあのようになったのかといえば、単純に明るさを優先したからである。スクリーンの全面に超微細なマイクロプリズムを並べ、しかもそのすべての辺にマット加工を施すことで、光のロスを極限まで減らす。この方式は60年代後半の当時にあって、技術的にも思想的にもそうとうに先鋭的といえたはずだ*。
 だがその明るさの代償として、SLのファインダーは「見かけ上の被写界深度が深くなる」という、きわめて癖の強いものになってしまった。例のギアナ高地型のピントの山は、この偽りの被写界深度の影響によるものだ。もともと引き算だけで成り立っていたファインダー系の数式に、足し算や掛け算を無理に当てはめて答えを出そうとした結果ともいえる。
 カメラの本質(というか写真撮影の本筋)を熟知していたはずのライツ社が、そうまでして新機軸を打ち出したかった理由はどこにあるのか。これはおそらく「M型離れが進むユーザー」を一眼レフシリーズで引き留めておきたかったからだろう。
 50年代半ばから約10年の間、高級カメラ(というより高価格カメラ)の市場をほぼ寡占していたライカも、60年代末には日本製一眼レフの攻勢に圧され気味であった。64年に初代ライカフレックスを発売した時には、「やや時代遅れ」ながらもユーザーベネフィットを真摯に捉えた痕跡が伺われた。だが68年のSLに載せた未成熟な技術からは、王者ライツの迷いと焦りが垣間見える。
 そしてライカの一眼レフ系列は、やがて誰も予想しなかったような展開を見せることになる。

制作協力:クニトウマユミ

*注:全面マイクロマットのスクリーンは後に日本のミノルタが「アキュートマット」として実用化しており、これは提携関係にあったライツの技術を発展させたものだそうだ。


2006年07月26日掲載

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