* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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銀座コリドー街裏道、夕暮れ。中望遠の緩い圧縮効果で建物の圧迫感を強調してみた。
Leicaflex SL2+ Summicron 90mmF2 / FUJICOLOR SUPERIA Venus400
(C)Keita NAKAYAMA



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愛用のインスタントカメラを構えるクニトウマユミ。大口径レンズ特有のビネッティング(絞り開放付近での点光源の歪み)は比較的軽微だが、周辺部での倍率色収差は確認できる。
Leicaflex SL2+ Summicron 90mmF2 / FUJICOLOR SUPERIA Venus400
(C)Keita NAKAYAMA



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Hazel eyes sings. ズミクロン90ミリと明るいスクリーン、そしてナチュラ1600の組み合わせはこういう条件で威力を発揮する。
Leicaflex SL2+ Summicron 90mmF2 / FUJICOLOR NATURA 1600
(C)Keita NAKAYAMA

『サンクチュアリ #20』

 ひとの記憶のなかに特定の年号が強く刻まれている場合、それは個人的な経験よりも歴史上のできごとに関連づけられていることが多いようだ。では1970年という年はどんなできごとと結びついているだろう。この年、日本では大阪万博が開催され、ひとりの小説家が割腹自殺を遂げた。カンボジアではクーデターが起き、米国とソ連の間では戦略兵器の削減交渉が開始され、そして英国ではビートルズが解散した。
 そういう事象を記憶から掘り出せるひとも、この年に西ドイツの光学機器メーカーが深刻な経営危機におちいったことは覚えていないだろう。だがライツ社の経営が傾いた原因は、東洋の島国でサクラのシンボルマークが踊っていたこととあながち無関係ではない。経済成長の象徴としての万博開催に沸く日本とは対照的に、というかその影響をもろに受けて、西ドイツのカメラメーカーは瀕死の状態にあったからだ。ちなみに写真好きで知られるビートルズのドラマーも日本製カメラを愛用していたという。

 ライツ社の経営不振については、別項のライカM5編にも記した通りである。つまり伝統的なマイスター制度に代表される高コスト体質と西ドイツ経済のコストインフレ、そして主要市場である米国経済の不振などが重なって「競争力が落ちた」ことが原因という。
 この場合の競争相手とはもちろん日本製カメラで、その品質はまだライツ製品との格差はあったけれども必要充分以上。信頼性も高く、おまけに値札には十倍ちかい差があったのだから売れ行きに差がつくのは無理もなかった。早い話が、ライカの値段はいくらなんでも高すぎたのである。
 経営難におちいったライツ社は創業以来の同族経営体制を捨て、外部の資本を受け入れる。支援の手を差し伸べたのはスイスの光学機器メーカー、ヴィルト社であった。同社はライツ社と同業の精密光学機器メーカーではあったけれど、その事業の核は軍需や高度な研究開発業務に向けた計測機器であり、民生用のカメラ事業にはあまり興味を示さなかった。というよりも、先行きの見えたカメラ事業はさっさと切り捨ててしまいたかったというのが本音だろう。

 それでもライカという名のカメラが残ったのは、この伝統的なブランドを愛する顧客がひとにぎりでも存在していたためだろうか。とはいえカメラビジネスの継続は難問であった。レンジファインダーカメラの凋落に歯止めをかけるべく登場したライカM5(1971年の発売:つまりヴィルト社が経営に参画した時点で設計は完了していた)も、そして最高級一眼レフとしてそれなりの評価を得ていたSLも、売れば売るほど赤字が膨らむ状況だったのだ。
 ヴィルト社/ライツ社はここでひとつの決断を下す。それは「純血主義を捨て、外部の血を入れる」ことであった。

制作協力:クニトウマユミ


2006年08月09日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部