* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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夜の高架下で。カメラは手ブレ限界を超えても黙っていてくれる。ちょうど良いブレ具合はカンで見つけるしかない。
Leica M5 + Summicron 35mmF2 / FUJICOLOR NATURA 1600
(C)Keita NAKAYAMA



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「そこしかない」位置にいつもピンポイントで収まる被写体。恐ろしい才能だと思う。
Leica M5 + Summicron 35mmF2 / FUJICOLOR NATURA 1600
(C)Keita NAKAYAMA





Special Edition 『アカイレスルカメラ』

 人からものを教わるのが苦手である。
 考えてみれば、仕事にしている文筆と写真はどちらもやり方を教わったことがない。文章は学校で読み書きを、写真は親兄弟にカメラの扱い方を教わった。だから独学ともいえないのだが、それは子供の頃の話だ。
 それでいつまでも下手くそなのだろう、と言われたら返す言葉がないけれど、でもたぶんきちんとした場所で教わったところで、結果はたいして違わない気がする。人にはもって生まれた容れ物があって、その容量を超えた量の才能を継ぎ足そうとしてもこぼれてしまう。そうでないひともいるかもしれない。でも僕はそろそろ目一杯だ。
 仕事に必要な技術を人から学んだ経験がまったくないわけではない。他人のやり方を見よう見まねで覚えて、よく似たものをつくる。猿真似である。基本がないところで形態模写をするのは、デッサンを学ばずに絵を描くようなものだから、さいしょは上手くいきっこない。それでも仕事になったのは、自分に能力が備わっていたからではなく、仕事の環境が甘かったのだろう。
 だが辛抱強く駄目出しをしてくれる人もいた。文筆のことでいえば、広告の分野より雑誌記事の方がずっと基本に厳しい。特に年配の編集者には「歩く用字用語辞典」みたいな人がいて、ことのほか手厳しくやられた。彼らは職分の意識が強いので、書き手の表現にはあまり手を加えない。でも文法や言葉の使い方などの基本にはとことん厳しい。提出した原稿が真っ赤になって戻ってきたときは、我ながら情け無かった。

 僕は写真に関してはほとんど独学だから(広告写真のスタジオで働いていたこともあるけど、カメラにはほとんど触らなかった)、撮影技術は本で覚えた程度の知識しかない。それでも普通に写真が撮れたのは、機械が親切に指導してくれたからである。
 露出を外したままシャッターを切ろうとすると、音や光が警告する。手ブレの限界を超えてもおなじことが起きる。微妙なピントは機械が合わせてくれる。そういう現代の写真機を使えば、僕のような人間でも必要最低限のアガリは手に入る。そうやって撮った写真が雑誌に載ったこともあるけれど、それは誌面を飾ったというより「汚した」というべきだろう。
 自分に甘いだけかもしれないが、あの頃に比べればずいぶんまともな写真が撮れるようになった。それも機械が指導してくれるお陰だろうか。そうかもしれない、と思うのは、僕はいまだにカメラからいろんなことを教わっているからだ。ただしそれは最新の自動機ではなく、旧いカメラたちからである。
 昔のカメラほど基本に厳しいものはない。修正が必要な部分は自分で読み取らないといけないけれど、文章と違って写真のミスはずっと分かりやすい。操作の間違いを注意してくれない機械を使うと、アガリの欠点がひときわ目立つ。それはカメラをつくり写真を育てたひとたちが入れてくれた「修正の赤ペン」の痕である。

 出版メディアの仕事場もデジタル化が進み、編集者のデスクに赤ペン(ひと昔前までは赤鉛筆)を見かけることはめっきり少なくなった。原稿はパソコンでやりとりし、パソコン上で「赤入れ」をするからだ。字句の修正を手書きの赤文字で入れる伝統は、この先すたれていくのだろうか。
 だが修正の赤はもともとペンや鉛筆ではなく、「朱筆を入れる」つまり朱色の絵の具を筆で入れていたのだそうだ。こちらの原稿を赤く染めながら、そういう昔話をしてくれる編集者がいなくなったことを、僕はすこし寂しく思っている。

制作協力:脊山麻理子


2006年10月04日掲載

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