* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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快晴の河原で。長辺の短いオペマの画面サイズは空の高さが気持ちよく出る。
Meopta Opema Ia + Largor 30mmF6.8 / FUJICOLOR Reala ACE
(C)Mayumi KUNITOU



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犬と赤い靴。
Meopta Opema Ia + Largor 30mmF6.8 / FUJICOLOR Reala ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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モラヴィアのちいさな貴婦人。オペマはいぜんに紹介した二眼レフ「フレクサレット」とおなじ、チェコスロヴァキアのメオプタ社が戦後に発売した小型カメラで、地味ながら一部に熱烈な信奉者を持つ名品だ。成り立ちは当時よく見られたバルナック型ライカの亜種なのだが、画面サイズをはじめとする独自のアイデアも盛り込まれている。画像は距離計を搭載したII型(の後期型)、装着レンズは「明るい標準」オペナー45ミリF2。
(C)Keita NAKAYAMA

Special Edition 『夏への扉(1)』

 もし時計の針を戻せたら、自分は過去のなにを変えるだろう。

 時間旅行をあつかった小説の新作が途絶えて久しい。二十世紀のSFでは重要なテーマのひとつで、傑作凡作あわせて並べれば本棚が埋まるほどの人気だったのだが、無理目の設定で読者に飽きられたのか、それともアイデアが出尽くしてしまったのだろうか。そういえば推理小説の密室殺人も似たような境遇にあるようだ。
 タイムトラベルものに共通した弱点として、理論的な説明をはじめた途端に歯切れが悪くなるということがある。あちこちに矛盾をかかえた設定だから、読者に深く考えさせてはいけない。だから理屈はなおざりにして、人間の単純な欲望を主題に据える。というか、そういう単純な筋立ての方が成功する確率が高い。かのウェルズの古典的名作にはじまって、このジャンルはひとの見果てぬ夢を反復して描き続けている。
 その主題とは「人間は未来より過去に執着する生き物だ」ということである。

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 時計の針をぐるぐると戻して、おおむね一年まえのよく晴れた冬の日。僕はハシバミ色の瞳といっしょに河原で写真を撮っていた。首から下げたカメラは旧いチェコスロヴァキア製のオペマ。ボディにねじ込んだレンズはちょっとレアな広角で、ピント合わせは目測だ。それに合わせてボディも距離計を持たないl型(他に距離計を持つII型もある)を選んで、なるべくサクサク撮る。
 目測撮影は敬遠するひとが多いけど、晴れた屋外なら絞り値を大きくできるからピントはどこにでも合う。特にオペマの広角は開放値がものすごく暗いので、ピントの合う範囲が深くて、ほとんど「写ルンです」感覚でレリーズできる。でもそれではあんまりなので、狭いフィルム室には低感度のリアラを詰めてピントリングもちょっぴり操作する。
 オペマは普通の35ミリフィルムを用いる、わりあいにフツーのカメラである。ただし画面サイズは通常のライカ判(長辺36ミリ、短辺24ミリ)より長辺が4ミリ短い。だから36枚撮りのフィルムを詰めると50枚ちかくも撮れる。これはなかなかにお得感が強いのだけど、気軽な散歩写真など一日では撮り終えないことがある。この日も30カットほど撮ったところで日が暮れてしまった。残ったフィルムはどうしよう?
 こんなとき、カウンターの残数を傾く太陽に相談して、ぴたりと撮り終える特技を持つひとがいる。または未露光分を残したまま現像に出す剛毅なひともいる。どっちも潔くて正しいと思うけれど、優柔不断な僕は撮りきらなかったフィルムはそのままにすることが多い(仕事の場合は別です)。つまりカメラはいつでもスタンバイオッケー、深夜の無駄な空シャッターも防げて一石二鳥だ。
 で、その出番がすぐに来ればいいのだけど、下手をするとなかなかお呼びがかからず、そのうちにフィルムが入っていることも忘れてしまう場合がある。こうしてカメラは即席のタイムマシンになるのであった。

(以下次号:「鳩によせて」は12月第3週より再開します)

制作協力:クニトウマユミ


2006年12月06日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部