* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


写真
---> 拡大表示

at Reykjavik #1
Asahi Pentax ESII + SMC Takumar 50mmF1.4
(C)Mayumi KUNITOU



写真
---> 拡大表示

at Reykjavik #2
Asahi Pentax ESII + SMC Takumar 50mmF1.4
(C)Mayumi KUNITOU





Special Edition 『マリオネットのひとりごと』

 ハシバミ色の瞳が旅行に出かけるというので、カメラを貸し出すことになった。
 彼女は家に代々伝わるペンタックスSVを愛用していて、それで不便は無いらしい。でも併用していたセコニックの露出計が壊れて、ちょっと不便をしているという。そこでおなじペンタックスから豪華版のESIIを選んで(というか、僕の手元にはこれしかない)イチヨンの標準といっしょに持たせた。
 帰国してしばらくして、彼女がアイスランドの石といっしょに見せてくれたのが、今週ここに掲載する写真だ。なかなか良く撮れている、いやかなり鋭いところを突いている写真だけれど、カメラが不調で撮れないこともあったらしい。いやそれは日本に帰ってからのことだっけか。

 じゃあそういう時の気持ちを書いてみたら、と課題を出したらこんな文章が届いた。

********


  「だれかに見せようと思って写真を撮ったことはない」
文・写真 byクニトウマユミ  


・・・と言ったら、少しばかり大袈裟な話。

 ヘンテコな物を見つければ携帯電話に内蔵されているカメラでカシャッ と撮っては友人に送りつけもするし、めったに会わない人たちが集まれば記念撮影だってする。

 少し前、調子が悪いとも知らずに不慣れなカメラのシャッターを切り続けたことがあった。顔馴染みのカメラ屋の奥さんの言葉を耳にして、カメラを信用しすぎていたことをひどく後悔した。
 いつの時だってそうなのだけれど、その“時”はどんなにお願いしても決して戻らない、そんな時だった。

 カラッポのネガを手にしながら「はてどんな写真を撮ったのかしら」と思い起こしてみる。思い出せるのは36枚撮りフィルム2本中、わずか十数カット。別段、なんてことはない。「こんなもの撮ったっけ」という写真なんてこのときに限らずよくあること。必ずしもそうであるとは限らないけれど、できあがったものを見て初めて、わたしがその時何を撮ろうとしたのか、いや、というよりも何に心惹かれていたのかに気づくことが多い。

 戻らないその“時”を撮ることはできない。
 戻らないその“時”を撮る必要はない。

 今となっては、その時わたしがどんなものに心魅かれていたのかを確かめることはできない。そして、その景色を誰かに伝えることはできない。でも、それでもいいと思っている。目に見える形では記録することができなかったけれども、わたしが魅かれ、捉えようとした景色は確実に記憶に刻みこまれているから。

 写真と呼ばれるものを撮り始めて数年経つ。相変わらずつかず離れずの関係は保ったまま。歩み寄ったところで、すべてのことを教えてなんかくれやしない。ただ、少しだけわかったことといえば、わたしにとって写真を撮るということの一つは、その景色を心に焼き付ける作業なのかもしれない。ということ。

 本音を言うと、やっぱりあの時の写真を、見てみたかったな。


2007年03月07日掲載

<--Back     Next-->



Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部