* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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本文との脈絡はありませんが、今月は普段あまり使わない機材で。これはこの連載のさいしょの方で使ってそのまま眠っていた旧ソ連製超広角レンズで撮った一枚。よく写ります。
Asahi Pentax ESII + KMZ Mir-20M 20mmF3.5 / FUJICOLOR Pro400
(C)Keita NAKAYAMA



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よく写るが、日陰だと発色がちょっと変。どうやらカラーバランスがズレているようで、これはソ連邦崩壊時の製品(品質管理の甘さは有名)だからか。画面四隅にフレアを引きやすいのは設計年次が旧いレトロフォーカス形超広角レンズに共通する欠点だ。
Asahi Pentax ESII + KMZ Mir-20M 20mmF3.5 / FUJICOLOR Pro400
(C)Keita NAKAYAMA



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M42プラクチカマウント用のボディはいつものESII(さいきんクニトウマユミに貸し出し中)。巻き上げの渋さを除けば操作感も良く、オート露出のクセも掴んでいるので使いやすい。ただし専用レンズ以外では絞り込みスイッチの操作が必要、これを忘れると露出不足となるので要注意。ミール20はデジタルで愛用する人も多いらしいが、やはり存在感のあるボディとの組み合わせは格別だ。
(C)Keita NAKAYAMA

Special Edition 『スプロケット(1)』

 イチサンゴのパトローネから引き出したフィルムチップをスプールに噛ませ、ギアとパーフォレーションの収まりを確認する。こんなカタカナばかりの作業をもう何千回繰り返してきたことだろう。そうしてフィルムの先端につけた指紋や、指先に触れたちいさな歯車のことなど、ふだんはまるで意識の外にある。なにか思うことがあるとすれば、それはフィルム送りに問題を抱えたカメラを使うときである。

 部品の名前は「スプロケット」という。二十世紀の大半を通じて正しいコマ送りを支え続けたこの機械部品が、フィルムカメラから消えはじめたのはいつ頃のことだろう。たぶんフィルム給送が指の力から電気に頼るようになって、それが一般化した80年代後半のことだと思う。
 スプロケットの歴史は長い。素材が樹脂や金属に換わる以前は木製で、ワイン用の葡萄を搾ったり大砲の角度を調節したりする機械に使われていた。今も昔もいろんなところで見かける歯車だけれど、より一般的なギアホイールと比べると歯の山の間隔がすこし空いていることが多い。これはチェーンやキャタピラなどを引っかけて、動力伝達用に使われることが多いからである。自転車やオートバイ、戦車などは今もこのタイプの歯車を使い続けている。
 写真撮影用の機械においてこの歯車が普及するためには、相方たるフィルムに穴が空いていることが必要だった。スプロケットがパーフォレイテッドフィルム、つまり有孔タイプのフィルムとセットになることで、おおむね正確なコマ送りが実現する。文字にするとなんだか高度な仕組みのようだけれど、じっさいには「なぁんだ」という程度のカラクリである。
 それでもこのカラクリが侮れないのは、これが写真撮影よりも技術的なハードルがずっと高い分野から移植された技術だからだ。その分野とは長尺のフィルムを高速かつ正確なタイミングで走らせるムーヴィー、つまり映画撮影と上映である。

 こんにち僕らが親しむ35ミリフィルムが、映画にもちいられた感材からの転用だったということはよく知られている。冒頭に記した「イチサンゴ(135)」というのはこのフィルム規格にたいして米国コダック社が与えた品番で、映画用とはフィルム幅とパーフォレーション(スプロケットと噛み合う穴)が共通だ。
 もともと映画用のフィルムをスチール写真向けに転用することを考えたのは、かのライカを生み出したオスカー・バルナック技師だということになっている。じっさいにはバルナックと同時代に、もっと早くからこの試みに取り組んでいたひとがいるらしいけれど、そういうひとたちの業績は造り上げた機械の完成度が足りなかったためか、歴史の歯車のすき間からこぼれ落ちてしまった。
 では映画用のフィルムにはじめて穴を開けたのはいったい誰だったのか。それは一般に発明王エジソンということになっているけれど、実はこれも別のひとのアイデアらしい。

制作協力:クニトウマユミ


2007年03月14日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部