* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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旧き良き「アキバ」の雰囲気を遺す電波会館前で。蛍光灯、白熱灯、街頭の水銀灯、それにクルマのヘッドランプ。カオスのような環境光が夜の歩道をアジア色に染める。
Nikon FE2 + Arsenal Mir-24N 35mmF2 / FUJICOLOR PRO400
(C)Keita NAKAYAMA



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すこし場所を移して、駅前の広場で。十何年前のサイバーパンク映画みたいな背景がネオアキハバラ。さすがに手ブレは防げない。
Nikon FE2 + Arsenal Mir-24N 35mmF2 / FUJICOLOR PRO400
(C)Keita NAKAYAMA



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電波会館二階の喫茶店「古炉奈」でこの日最後のカットを撮る。背景の素直なボケ描写はSLR用広角レンズのイメージを良い意味で裏切る秀逸なもの。
Nikon FE2 + Arsenal Mir-24N 35mmF2 / FUJICOLOR PRO400
(C)Keita NAKAYAMA

Special Edition 『或る日のカメラ散歩(4)』

 その日に稲荷町を訪ねたのには、もうひとつ目的があった。もうずいぶん前に(ここに書くのが憚られるほど前に)修理を依頼して、そのまま置き去りにしていたカメラを引き取ることである。
 なぜそんなことになったのか、理由はハッキリしない。確か修理完成の連絡を受けないまま、こちらも問い合わせをしなかったような気がする。依頼した機種はニコンFE2で、これも露出オートが効かなくなったのだけど、メーカーでも修理を打ち切った後だったから、僕も修理の可否にあまり期待していなかったのだろう。
 で、ペンタESIIの修理伝票を切っていただいた後に、その話を(恐る恐るに)切り出す。いぇ、ずいぶん前のことなので、もう処分されていたらそれで構わないんですが。
「まさか、勝手に捨てたりはしませんよ」と修理品の入った箱を探す長谷川さん。積み重なった下の箱から発見されたFE2は、電池を入れるとちゃんと正常にシャッターが落ちるようだ。
「どこを直したんだっけなあ。ちょっと待ってください」とカメラを持って奥に引っ込んだ主を待つことしばし。やがてニッコールレンズを付けたFE2を手に戻った長谷川さんは「大丈夫ですね、露出も正常です」という。どうやら計測機械にかけて動作をチェックしていたらしい。

 旧いカメラでも、純機械式の機種を専門に修理する業者のなかには、それほど大掛かりな設備を持たずにやっているところもある(そういうところはたいがい職人芸を売りにしている)。でも長谷川工作所のように国産の電子カメラも扱うとなるとそうはいかない。この分野の修理は職人のカンだけでは成立しないからだ。それを示すのがメーカーの「修理認定店」という制度で、これは技術や設備がカメラメーカーの規定する水準を満たすことを条件に、メーカーから正規の部品が供給され、メーカー修理と同等の内容が保証されるというものだ。
「雑誌でペンタックス専門みたいに紹介されたこともあって、扱う機種はそちらが多いのですけどね。ウチは全メーカー対応でやってますよ」という長谷川工作所の表には、なるほどいろいろなメーカーの修理認定店という看板が出ている(なぜかペンタックスの看板はなかったが、もちろん認定店である)。またFE2を「掘り出した」箱のなかには、70年代のドイツ製一眼レフも入っていた。

 受け取ったFE2にその場でストラップとレンズ(持参したニッコール互換マウントのキエフ用レンズ)を付け、フィルムを装填する。ここから秋葉原に戻ってまだ写真を撮るつもりだからだ。そうしてそれまで使っていたレチナをバッグに入れようとしたら、「それはIIIcですか」と長谷川さん。
 カメラを手にして「やはりこの時代のカメラはいいですね。命を削ってつくってる、という気概が伝わってきます」。実は長谷川さんのお父さんもその世界ではよく知られた修理技能者で、やはり国産カメラだけでなくローライフレックスなども手がけていたのだそうだ。

 親子二代でカメラ修理を手がける長谷川工作所を後に、上野まで歩きながら散歩写真の続きを撮る。しばらく手元から離れていたFE2は記憶にあったよりずっと軽く(物理的にも操作感触の面でも)、そのためかレリーズ時のショックも大きめに感じたけれど、これはレチナの後だから無理もない。
 その代わりにというべきか、このカメラは古典機に望めないきめ細かな露出設定が可能で、しかもそれを機械任せにすることもできる。もちろんどっちが偉いということはなくて、ふたつの道具はそれぞれに固有の魅力がある。ただしその魅力も、機械が正常に動いてこそのものである。
 機械に永遠はない。でも限りある寿命をどう全うさせるか、というのは使い手の心掛けひとつで決まるものだ。名医や職人でも直せなくなるまで使えたなら、それは使い手と道具にとって幸せな関係であったに違いない。
 さあ、写真を撮ろう。

制作協力:クニトウマユミ


2007年04月25日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部