* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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廃船と少女。
Fujica35SE + Fujinon 45mmF1.9 / FUJICOLOR PRO400
(C)Keita NAKAYAMA



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カメラ設計者の方々には申し訳ないと思いつつ、趣味に走った一枚。
Fujica35SE + Fujinon 45mmF1.9 / FUJICOLOR PRO400
(C)Keita NAKAYAMA



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昭和34年の最新ルック。カメラ前面の物々しさに対し、天面はたいへんすっきりしている。アンバランスといえばそうだが、撮影操作は上から眺めて行うわけだから、これは人間工学的に優れたデザインといえるかもしれない(それにしても左手はヒマである)。複雑な機構を収める必要からか、レンズに対して鏡胴が太い。その基部の被写界深度スケールのように見えるのはフィルム感度指標。距離計窓の下にある丸いノブは絞り/シャッター速度連係のロック解除ボタン。
(C)Keita NAKAYAMA

『麗しき銀の弁当箱(4)』

 フジカ35にはもうひとつ、目立たないけれどけっして見逃せない魅力のポイントがある。それは優秀なレンズの存在で、僕が冒頭で「不明を恥じた」最大の理由は、このレンズを知らなかったことだ。
 シリーズではいくつかのレンズが用意されたようだけど、僕の手元にあるSEは大口径F1.9の45ミリを積んでいる。構成は4群6枚というから、明るい標準レンズのスタンダードたるガウス型だろう。よく似たスペックのレンズといえば、先に紹介したレチナのクセノンがそうだった。あれはライカのズミクロンも凌ぐという高解像・高コントラストなレンズだったから、その後ではフジカも分が悪いだろうな、と思っていたのだが。

 レチナにしてもフジカにしても、いや多分この時代の優秀なレンズたちは、ある条件のもとでは現代のレンズと互角に近い描写である。解像度もコントラストも必要充分以上に高い(フジカの場合はちょっとコントラストが弱い場面もあったけれど、それとて使い手の工夫でどうにでもなるレベルだ)。高解像度のフィルムスキャナでパソコンに取り込んで拡大していくと、僕が撮っている人物写真などでは、それはもう怖いくらいの解像度である。
 もちろん、そう言い切ってしまうとレンズ設計は進歩が無かったことになるから、弱点も書いておこう。それは良画質が得られる領域が狭いことで、具体的には絞り開放付近、あるいは絞りすぎた場合の画質の低下は今のレンズよりも大きい。ただしこの状態での描写は「光学設計的に正しくない」こととはいえ、レンズそれぞれに独特の滲みや低いコントラスト再現となって、写真表現にまた別の可能性をもたらしてくれることも事実である。
 などと書くといかにもレンズが分かっているようだが、実は僕にもまだまだ分からないことは多い。それは今回のフジノンレンズでも同様で、逆光でのコントラスト再現(これは古典レンズは概ね弱い)や光の状態によって転び方が変わる発色など、一筋縄でいかない部分も大きい。経験値を積み重ねれば理解も深まる筈だけど、ギャンブルの要素が完全に排除できるようになるまでは相当な時間が必要だろう。
 でも、それで良いのだと思う。「間違いのない」結果が必要な場合は、現代のレンズを使えば期待を裏切られることはほとんど無い(思い通りの結果が得られない場合はレンズよりも自分のミスを疑うべきだ)。古典レンズは良くも悪くも、撮り手の期待という名の思い込みを裏切ってくれるところが魅力なのである。

 手元のフジカ35SEを使いはじめてまだひと月。まだまだ見えてこないことや書き足りていないことも多いけれど、それはすこし間を開けて、次の機会に報告させていただくことにしたい。焦って結論を急ぐと、また後で不明を恥じることになる。この項のさいしょに「不明と恥の繰り返しが人間のグレードを上げる」と書いたのはもちろん本心だったのだが、僕もそろそろひとつのカメラをじっくり使う時期だと思う。

制作協力:クニトウマユミ


2007年05月30日掲載

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