* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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現代のレンズを使うと色温度が上がったように感じる。眼が古典レンズに慣れてしまったのだろうか。
LeicaM3 + Biogon 25mmF2.8 / FUJICOLOR PRO400
(C)Keita NAKAYAMA



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世界でいちばんレチナの似合うひと。
LeicaM5 + Summicron 35mmF2 / FUJICOLOR PRO400
(C)Keita NAKAYAMA



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僕にとって「黄金時代のアメリカンデザイン」といえばこのふたつ、フェンダー・ジャズベースとアンスコフレックス2である。機能がカタチに結びついた造形というだけでなく、この道具たちは「文化が大衆によって大量に消費される時代」の幕開けを告げたのだ、という話は次号以降で。(アンスコフレックス2機材提供:池田信彦氏)
(C)Keita NAKAYAMA

『贅沢な写真機(4)』

 米国製写真機のことを書こうとしたら、前振りのところで長くなってしまった。手元にあるシネカメラが魅力的だったために寄り道をしたのだけど、守備範囲から外れた話なので、読者は退屈されたかもしれない。
 言いたかったのは、カメラのつくりが上質とか緻密ということではない。そういう道具のことよりも、撮影とその後処理で消費される資源と時間が、戦前戦後のアメリカにはたっぷりとあったということだ。僕らが子供の頃から植え付けられていた消費の幻想、または「豊かさ」という名の虚像、それは冷蔵庫やテレビといっしょにアメリカから運ばれてきたものなのだ。
 では、映像趣味における豊かさとはなんなのだろう。

 世界のあちこちを旅してみると分かるけれど、それぞれの土地にはそこで育ったひとでないと理解できない価値基準がある。資源の乏しい国に育った僕らは、アメリカのクルマをガソリン食いと信じて疑わず、フランスやイタリアではお昼の休憩タイムがやたらに長く感じる。どっちも贅沢だし、それを豊かさと言い換えることもできるだろう。
 でも日本に戻ってきて旅のつかれを癒すとき、僕らは湯船になみなみとお湯を張り、それをざぶざぶこぼしながら風呂に浸かる。こんなのは日本人ならではの贅沢で、イギリスの安宿の主人が観たらまなじりを吊り上げるに違いない。
 そういえばムーヴィーカメラの操作感覚もこの風呂に似たところがあって、スイッチを入れるとフィルムがざぶざぶと消費されていく。スチル写真の趣味人がこれに快感を覚えるのはけっこう難しい。旧いスチルカメラに詰めたフィルムで、1コマでも多く撮ろうと腐心する僕なんて、もう恐れ多いとしか言えない。

 だから、というわけではないが、僕はシネカメラでムーヴィーを撮ったことはない。ダブルエイトのフィルムはとっくの昔に製造中止だし(現行フィルムから詰め替えた製品も一部で流通しているらしいが)、手元には専用の映写機の備えもなく、カメラはお洒落な文鎮と化している。
 その文鎮を偶に手にとって、フィルム給送のコマ速度を目一杯に上げてみる。ベル・ハウエル#134は標準で16コマ/秒のところが、最速では64コマ/秒の送りが可能である。この四倍速モードにすると、ゼンマイ仕掛けのモーターを目一杯にチャージしてもフィルムは僅か6秒ほどしか走らせることができない(つまり標準コマ速でも1カット24秒が最長だから、デ・パルマばりの長回しなんて逆立ちしても無理なのだ)。
 でもそうやってフィルムを空送りすると、ハイスピードカメラ特有の甲高い給送音が妙に心地良く感じられたりするのだから、これは人間が生来持っている消費の欲望に、どこかで直結した機械なのだろう。
 そしてアメリカ製品の素晴らしさとは、そういう煩悩のトリガーが分かりやすいところに付いていることなのではないか、と思うのであった。

 さて次回からはスチルカメラのお話しです。


制作協力:脊山麻理子


2007年06月27日掲載

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マカロニ・アンモナイト編集部