* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


写真
---> 拡大表示

壁面全体が反射光源となる古典レンズには厳しい条件。シャドー部の締まりが充分なのは最新のフィルムの恩恵か。カラーバランスは明らかにシアン寄り、リバーサルでは補正が必要だ。ごく僅かな樽形歪曲が観察できる。
KonicaIIIA + Hexanon 50mmF1.8 / FUJICHROME ASTIA100F
(C)Keita NAKAYAMA



写真
---> 拡大表示

強めの逆光条件。流石にコントラストは落ちるが、これはレンズ背面に延長された鏡筒の内面反射か。あら探しよりもこの描写を活かす方法を考えよう。
KonicaIIIA + Hexanon 50mmF1.8 / FUJICHROME ASTIA100F
(C)Keita NAKAYAMA



写真
---> 拡大表示

「迷いの無い」カメラたち。右は1957年に発売されたコニカIIIMXLの後期型。その前年に発売されたIIIMFXにライトバリュー機構を搭載、撮影時に同一露光値でシャッター速度/絞り選択の自由度を高めたモデルだ。左は57年発売のIIIA1.8。新開発のファインダーや明るいレンズなど、機能とスペックの両面で西独のライバル機に肩を並べた記念すべきカメラである。オリジナル機にあった「端正なバランスを崩した」とされるIIIA軍艦部の意匠だが、近年のフォクトレンダー・ベッサなどに多大な影響を与えたことが分かるだろう。
(C)Keita NAKAYAMA

『オールド・ルーキーズ(1)』

 メイドインUSAの続き、というか本論を書くつもりが、ちいさな欠品パーツの不着で延期となった。あちこち探して見つからないところをみると、どうやら一時的に供給停止の状態らしい。この種の絶版カメラではよくあることとはいえ、読者には予告が延び延びになってしまって申し訳ない。この場を借りてお詫びいたします。
 というわけで今月は代打をコール。昭和三十年代から四十年代にかけての国産中級機を集めてみた。僕にとってははじめて使うカメラばかりで、言ってみれば「遅れてやって来た新人」というところ。地味目だけど実力充分、というより今もオールラウンドな活躍が期待できる「オールド・ルーキー」たちである。

 トップバッターはコニカIIIシリーズ。愛好家によく名の知れた機種だけれど、カメラ店の国産機コーナーでこれを見かけると、ちょっと毛色が違うように感じる。むしろライカやコンタックスと並べて置いた方が違和感がすくない。なぜなのか、その理由は今回じっくり手にしてなんとなく理解できた。機能がデザインによく現れ、そこに「迷いが無い」のである。
 昭和三十年代も半ばまでの国産カメラを今の目で眺めると、海外製品を下敷きにした部分が目に付く。なかには西独製カメラをまるごとコピーした機種もあって、なにやら昨今の偽ブランド製品を観るようでもある。
 でもそれも無理からぬ話で、この国にカメラ産業というものが根付いて、まだ十年かそこらしか経っていない時期なのだ。ただし、なかには戦前からカメラ造りを手がけていたメーカーもあって、コニカもそのひとつ、というより日本で最初にカメラを国産化したのはこの会社の前身であるという*。
 そういう歴史のなせる技(わざ)か、コニカのカメラはデザインや機能に独自性のあるものが多かった。技術者の主張がカタチに現れるのは、海外の工業製品にはよくあることだけど、日本ではこのコニカIII型がたぶん最初の例ではないか。
 とはいえこのカメラ、1956年の発売時にはとくに目新しい機能を持ち合わせていたわけではない。最大の特徴である巻き上げ方式(通常の軍艦部天面配置ではなく、レンズ鏡胴の横に垂直動作のレバーを置いた)にしても、戦前ツァイス・イコンの「テナックス」に先例があるし、一眼式のファインダーも当時の距離計連動機としては標準的なものだった。
 だがそのファインダーは後期型のIIIAで素晴らしく進化する。倍率は等倍まで拡大され、視野枠にはパララックス自動補正に加え、撮影距離に合わせた画角までも補正する機能が付いたのだ。当時メーカーではこの仕組みを「生きているファインダー」(なんか、ベタな呼び名だなあ)と称したそうだけど、僕のようにカメラズレした人間が覗いても、レンズの進退に合わせて視野枠がズーミングする様子は、けっこう感動的である。

 こんにち、コニカIIIシリーズが名機と呼ばれるのは、こうした機能面の工夫に加えてデザインの独自性が高く、また仕上げも美しいからだと思う。分厚い金属塊から削りだしたようなそれは、海外製品の亜流ではなく、日本刀を思わせる切れ味のある意匠である。でもメーカーはこの優れたカタチをその後の機種に継承せず、後継機種をまるっきり別のカメラ、ありふれた箱形デザインのカメラにしてしまう。
 今このカメラを手にして僕が思うのは、これがカリスマ的な技術者の作品ではないかということだ。トリッキーな配置の巻き上げレバーは特に使いやすくもなく、レンズの描写(当時も今も世評が高い)も条件によっては危ういところがある。つまり完成度はそれほど高くない。にもかかわらずこのカメラが魅力的なのは、つくり手の気概が、または思い込みの強さが撮り手に伝わるからだろう。
 コニカIIIシリーズは、まだメーカーが愛用者カードの意見に耳を傾ける前につくられたカメラなのだった。


*注:史上初の国産カメラについては諸説がある。それは初期のカメラが単純な仕組みで、アマチュアの手作りが比較的容易だったからだ。コニカミノルタのWebサイトには1903年発売のチェリー手提用暗箱が「国産初のブランド付きカメラ」として紹介されている(発売元は小西本店)。


2007年07月04日掲載

<--Back     Next-->

東京レトロフォーカスの目次へ--->



Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部