* 週刊フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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アンスコフレックス2、実写。レンズは固定焦点だが設計上のピント面はけっこう遠いようだ(ボディには近接撮影用にクローズアップレンズの備えがある)。色調が青いのはタングステンフィルムをデイライトで使っているため。
AnscoflexII / FUJICHROME T64
(C)Keita NAKAYAMA



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斜俯瞰で観る。レンズバリア(通称「ガレージシャッター」)の内側にはスライドに同期して開くピントフードのレールが仕込まれている。ファインダー視野は異様に明るいが像に歪曲が大きく視野率が小さいため、正確な構図は取りづらい、またアイポイントをずらすと視野が暗転消失する。ファインダー背後の赤いボタンは裏蓋解放用。フィルム装填をミスると蓋を閉じられないフェイルセーフ機能が内蔵されており、このあたりにも設計の巧みさが看て取れる。フィルム送りは単純な赤窓式だ。
(C)Keita NAKAYAMA





『贅沢な写真機(11)』

 ローウィに仕事を依頼したのはアンスコ社。ニューヨークに本拠を置くフィルム/カメラ販売会社の老舗である。同社は写真ビジネスでコダックよりも長い歴史を持っていた(創設は十九世紀半ば)が、戦前にドイツのアグフア社と合併したため第二次大戦中は政府の管理会社となっていた。戦後にふたたび民間資本の手に戻り、アグフア製フィルムやカメラを自社ブランドで売りさばいていた。
 旧大陸に製造拠点を持つアンスコが、なぜ自社開発の製品を企画したのか。残念ながらその理由はよく分からない。ただし戦後間もない時期に同社は独自の二眼レフを開発したことがあり(オートマチック・リフレックス)、純米国産カメラに対する思い入れがあったのかもしれない。

 アンスコからローウィへの依頼の内容も判然としないが、たぶん製品の基本コンセプトは示されていたと思う。すなわち「簡潔な構造で、初心者にも容易に写真が撮れること」「販売価格を低く抑え、フィルム需要の拡大が見込めること」である。さらに(デザイン料の高額な)ローウィに依頼するからには、意匠面の革新性に期待が寄せられたのは間違いないだろう。
 もうひとつの疑問として、ローウィがこのカメラの設計にどこまで携わったか、つまり外観意匠だけの依頼だったのか、それとも内部構造まで踏み込んでのデザインワークが求められたのか、それもハッキリしない。だがこのカメラの内外の構造を観ると、ほとんど100%ローウィのオフィスが手がけた作品のように思える。
 その理由は後で記すとして、完成したカメラは1954年に発売された。当時の広告によれば、販売価格はなんと28ドル前後(カメラ本体、革ケース、フラッシュガン、バルブ4個付きのセット価格)で、前に紹介したアーガスC3の戦前価格よりもさらに安価である。
 今のように海外工場で生産するわけでもない(アンスコの生産拠点はニューヨーク州ビンガムトンにあった)のに、なぜそんな低価格が実現したのか。これにはたぶんふたつの理由がある。
 ひとつはこのカメラが初心者向けとして、前出のアーガスなどよりも構造の簡略化を徹底して推し進めたためだ。本体の部品点数はたぶん4〜5人が両手で数えて足りる程度。さらに生産性もよく練り上げられ、少ない工程での組み立て後は調整などほとんど不要と思われる。細かい点だが、部材の接合は米国カメラお得意のリベットに加え、プラスネジの採用など新しい試みも目を惹く。つまりカメラとしては単純だが、工業製品としてはけっこう高度なわけで、これだけの設計ができるオフィスはそう無いだろう。
 もうひとつの理由として、アンスコ社としては「カメラで利益を出さなくてもフィルムで儲かれば良い」という思惑があったことは想像に難くない。今でいうなら、ケータイのキャリアみたいなものである。もっともコダックのフィルムを詰められたら元も子もないのだが、この点アンスコには独アグフア製フィルムの輸入販売という切り札があった。

 そうして出来上がったカメラ「アンスコフレックス2」は、しかしバーゲンプライスの初心者向けカメラとはとても思えない魅力が詰まっていた。というより、これはカメラにすら見えなかった。


制作協力:脊山麻理子


2007年09月19日掲載

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