* 連載フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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昭和中期の料亭建築で。スローで切ってもブレにくいのはレンズシャッター機の大きな美点だ。
KonicaIIIA + Hexanon 50mmF1.8 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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カラー撮影では色味に若干の補正が必要だが、その点を差し引いても素晴らしい描写だと思う。
KonicaIIIA + Hexanon 50mmF1.8 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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専用角形フードを装着したコニカIIIA。寸胴な鏡胴を構成するリングは(外から見える部材だけで)実に8本、うち5本に数値指標が刻まれるという賑やかなデザイン。それが煩雑な印象を与えないのは設計者のバランス感覚か。セルフタイマーレバーの意匠も独自性があって秀逸。反面ストラップ金具に干渉しやすい巻き上げレバー、無理矢理感の強い巻き戻しクランクなど工業デザインとして「こなれていない」点も多く、国産機には珍しい「悪女の魅力」が漂う。
(C)Keita NAKAYAMA

『煩悩だらけのカメラ選び(1)』

 米国の推理作家レイモンド・チャンドラーは、「アルコールは恋愛のようなものだ」といっている*。
「最初のキスには魔力がある。二度目はずっとしたくなる」。パルプノベルズ的な言い回しだが、“でも(恋愛が)ほんとうに心を揺さぶるのはそこまでだよ”と落とすところに、この作家らしいアイロニーの発露がある。
 アルコールはともかく、恋愛は語るに荷が重い。そういう僕のような人間でも、これをカメラに置き換えるとなんとなく理解できる。つまりカメラによらず、趣味の道具というのは、さいしょに寄せた熱情が長続きしないことが多いのだ。
 それは物質的に恵まれすぎている所為かもしれないし、写真の腕(の不足)を道具で補おうとする浅薄な願望の限界かもしれない。どっちにしても自慢できた話ではないのだが、でもなかにはさいしょの熱情が失われない出会いもある。そういうカメラたちについて、思うところを記してみよう。

 コニカIIIAについては、いぜん国産機をまとめて特集した折りにすこし触れた。あのときに紹介した他の機種は知人に半永久貸与という名目で贈呈してしまったが、このIIIA(とその前身のコニカIII)は手元に置いてある。なぜそれだけを残したかといえば、単純にデザインが好きだからだ。仕事机の上に置いて眺めるだけで飽きない、そういうカメラは他にもあるけれど、旧い国産機ではあまり例がない。
 デザインの美しさという点では、初期型のコニカIIIを推すひとが多いだろう。僕もそのひとりである。にもかかわらず、外に持ち出すのはほとんどIIIAで、これは等倍に近いファインダーの「見え」の良さに惹かれてのこと。視野は着色が多少あるものの、両目を開けて撮っても違和感はない。レンズの繰り出し量に合わせて視野枠がズームする「生きているファインダー」も、(その精度には多少の疑問もあるが)使っていて愉しいギミックである。
 いっぽうで不満もある。その筆頭はLVシステム、つまり露光値を数値化して絞りとシャッター速度の組み合わせを連動させるライトバリュー・リングの存在だ。同様の機構はレチナIIIcなどにも積まれているのだが、あちらは露出計の備えがあって操作に統一感があるし、LVリングのロック解除も容易である。コニカIII/IIIAの場合、露出は外部のメーターで測るのでLVリングは無用の長物、というか邪魔なだけだ。しかもロック解除はスプリングの強い張力に抗して、リングの鋭いギザギザを押さえつけて行う仕掛けだから、慣れても操作はやりづらいし指が痛い。市場で見かける同型機種のなかにはこのロック機構を外す改造がなされているものもあるけど、むべなるかな、という気がする。
 もうひとつ、あのレンズ外周に配された垂直方向の巻き上げレバーは、たしかにこのカメラに特有の表情を与えているものの、やはり「変化のための変化」でしかない。巻き上げは重く、またレバー先端がストラップアイレットに近すぎることもあって、操作にはストレスがともなう。
 だからこのカメラを首から提げての撮影行は、その優美な基本デザインに似つかわしいリズムになりにくい。というより、一瞬のチャンスを逃して頭にくることもけっこう多い。にもかかわらず、機材棚にならんだカメラたちを差し置いてこのカメラの出番が多いのはなぜだろう。
 思うに、それは一種の「悪女願望」のようなものである。

 コニカIIIAが似合うのは、たとえばカメラ好きが集う席、それもできればネクタイ着用の会がいい。臨席するゲストの多くが持ち寄るライカを褒めた後で、こういうのはどうでしょう、とひっそり開陳する。同時代のライカに劣らぬ質感、ひけを取らぬ佇まい。あの時代、国産カメラも頑張っていたんですよ、と愛機を持ち上げつつ、「でもじつはもの凄く使いにくくて」と愚痴をこぼす。「金のかかる女」というのは男の憧れだそうだけど、そういう自虐的な駄目ジマンを快感にすり替えるには、やはり愛が必要なのだ。

※米国製カメラ特集『贅沢な写真機』は近日中に再開します。

制作協力:クニトウマユミ


*注:小説「長いお別れ The Long Goodbye(1953)」より。チャンドラーが晩年に発表した本作は清水俊二氏の翻訳で永らく親しまれてきたが、今年(2007年)に村上春樹氏による新訳版が上梓された。


2007年10月03日掲載

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