* 連載フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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新宿の大ガード下、午後8時。絞り解放の適正露出はこの日の1ロール中この一枚だけだった。
Minolta Hi-MaticE + Rokkor-QF 40mmF1.7 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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番外編。最新レンズの精緻な描写は素晴らしいが、撮影の目的をよく考えて使うべき。
LeicaM5 + Carl Zeiss Distagon 18mmF4 / FUJICOLOR PRO400
(C)Keita NAKAYAMA



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1971年発売、ミノルタ製ご家庭用金属カメラ中期の傑作ハイマチックE。本機は同シリーズ中でも一二を争う優秀なレンズを積み、今もコアなファンが多い。基本デザインはハイマチック7あたりと大差ないが、実機はずっとコンパクトだ。操作面では鏡胴先端に設けられたフィルム感度設定ダイヤルが秀逸、逆光補正も容易にできる。反面、操作感覚はあまり褒められたものではなく、機械式カメラ信奉者にとって巻き上げとレリーズの感触(特に後者)はなかなか辛いものがある。
(C)Keita NAKAYAMA

『煩悩だらけのカメラ選び(2)』

 カメラ選びの駄目ジマン、第二回は国産ファミリーカメラである。
 昔のミノルタのカメラは「独特の軟らかい描写」でファンが多い、ということはいぜんの小特集で書いた。使ってみても確かにその通りで、特に今のカメラレンズに慣れたひとには、その芯のある軟調描写がとても新鮮に映るはずだ。
 なかでもここに紹介する「ハイマチックE」のレンズは素晴らしい。ロッコール40ミリQF、F1.7。ミノルタの命名法を読み解けば、レンズ構成は4群6枚となる。つまりこれは古典的なダブルガウス型を基本に、限界ぎりぎりまで広角側に寄せた設計だと思う。それ以前のロッコールは(僕の少ない経験では)解放付近でちょっと甘すぎるきらいがあったけれど、このレンズはその領域でもしゃきっと程良くピントが来る、ような気がする。
 ん? いつも勝手な意見を書き散らしているのに、なぜ「〜ような気がする」と自信なさげなのかって?
 はい、それが今回のお題です。

 ハイマチックEが登場した1970年代、日本のカメラメーカーは本格的な撮影の自動化に取り組んでいた。特に中級機への技術展開に熱心だったのがヤシカとミノルタで、ピントを合わせて押すだけの全自動露出、つまり「フルオートEE機」の開発にしのぎを削った。
 この技術は今のカメラにも「プログラムAE」として受け継がれているから、もうお馴染みの存在だ。僕も一眼レフにこの機能が積まれたときは、ずいぶんお世話になった。それを今ではすっかり封印しているのは、露出を決めるパラメータを(情報が開示されているといえ)ぜんぶ丸ごとカメラに委ねてしまうのは、どうしても抵抗があるからだ。
 ところが70年代の初期、ヤシカとミノルタが発売したファミリーカメラは、撮影者が絞りとシャッタースピードを選べないだけでなく、その情報にもまったく触れられないという完全な? プログラムEE機。いってみれば露出ブラックボックスみたいなカメラだった。ヤシカ製はエレクトロ35シリーズ、そしてミノルタ製がこのハイマチックEである。
 両機は現役の間はけっこうな人気機種で、特にエレクトロ35は「蝋燭の明かりでも写る」という名コピーのお陰もあってか、大ヒットとなった。どちらもファミリーカメラにはオーバースペックともいえる秀逸なレンズを積んでおり、今の基準に照らしてもじゅうぶんに通用する素晴らしい写りだ。
 にもかかわらず、どちらのカメラも今の中古市場で不人気なのは、このプログラムEEという方式が、愛好家にとって「触ると祟りのある神」だからである。
 今さら書くのも憚られるような基本だけど、写真にとって被写界深度とブレ具合というのは、表現を決める二大要素といってもいい。だからその両者を決めるパラメータが伏せられたままのカメラは、たとえ優秀なレンズを積んでいてもなるべく使いたくない。そう信じて触らずにいたのだけど、あのNATURA Sを使って「こういう遊びもありかな」と思えるようになった。つまり、カメラの出た目を読むという遊びだ。

 ハイマチックEの場合、いやこれはエレクトロ35やNATURA Sもいっしょなのだけど、キモは被写界深度の読み方、もっと言えば「絞り開放の条件を自分でつくる」ことである。これは文字にすると簡単そうで、やってみるとけっこう難しい。フィルム感度を選び、光の条件を見きわめて、自信がなければ単体露出計まで繰り出して「これで正解」と思っても、アガリは露出不足だったり、絞りのカタチ(ハイマチックEでは点光源が五角形になる)がしっかり残っていたりする。これは滅茶苦茶に悔しい。
 そんな悔しさをバネにして撮り続けると、いつかは正解にたどり着く。傍目には“So what?”といわれそうな遊びだけど、まあ旧いカメラを使う趣味なんて、いってみればどれも無駄な努力の積み重ねだ。それで写真が上達するということもない。ただし巧く撮れたときの達成感は、これは最新のカメラよりずっと上だと言っておこう。

※米国製カメラ特集『贅沢な写真機』は近日中に再開します。

制作協力:クニトウマユミ


2007年10月17日掲載

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