* 連載フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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フジカ35Mのレンズは4群5枚のクセノタール型。東独カールツァイス・イエナ製のビオメターなどとも共通する設計のようだが、上品な描写の雰囲気は確かに似ている。
Fujica 35M + Fujinon 45mmF2.8 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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発色は僅かにシアン寄り(画面右側の窓に青色系の着色があることも影響している)。絞り開放でも合焦面は繊細にピントを結び、後ボケも自然だ。国産カメラはその後に大口径競争に突入するのだが、こういう条件で使う限りこれ以上明るいレンズは必要ないと思う。
Fujica 35M + Fujinon 45mmF2.8 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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過度な装飾を排したデザインが「いかにもフジカらしい」35M。シャッターはシチズン製MXV、最高速度1/400秒は後年の35SE(最速1/1000秒)などと比べれば見劣りがするものの、レリーズ時の音と感触はこちらの方が心地良い。実用上で不便を感じるのはカウンターが自動復元しないことと、本体にストラップを装着するアイレットの備えが無いことくらいか。写真の革ケースは次世代機の35MLのもの。僕はケースのみを先に入手し、次に本体、最後に金属フードの順で揃えた。このフードはかなりレアなので、できればフルセットの出物を探そう。
(C)Keita NAKAYAMA

『半世紀 -Half a Century- 』

 あけましておめでとうございます。

 という挨拶が何度目になるのか、数えてみたらこれが六度目だった。カメラも使い手も、連載開始からかっきり6年分歳を取ったわけである。
 旧い写真機にしてみれば、世紀をまたいでからの6年など大過もなかったことだろう。でも使い手は齢(よわい)めでたく五十となり、裸眼でピントの合う最短距離もずいぶん遠くなった。
 こうした視力の衰えは、カメラ操作の支障になる。カウンターや鏡胴の絞り指標、それにフィルム感度など、旧い機種では読み取りにくいものが多いからだ。これは数値の刻印そのものが小さく、また配色も視認性をあまり意識していないためだけど、まあ優雅なデザインの代償と諦めて、ゆっくり確認しながら使うしかない。
 そういう道具がつくられた頃は、写真撮影の現場も、今よりずっとゆったりとした時間が流れていたのだ。

 さて。半世紀のあいだを懸命に生きてきた、などとは口が裂けても言えない僕だから、今日び流行りの「自分へのご褒美」など贈れる身分ではない。でもささやかな記念の品を手に入れたので、ここで披露させていただきたい。生まれたその年に発売された(製造年はもっと下るかも)カメラである。

 フジカ35については、シリーズ初期を代表する35SEをいぜんに紹介した。今回入手したのは、その二世代前にあたる35M。これはシリーズの初代機であり、また富士フイルムがはじめて発売した35ミリフィルム専用機でもある。こういう歴史に遺る機種と「同い歳」というのは、好きなタレントと誕生日がいっしょみたいで嬉しいものだ。
 ではそのサンゴーエムとはどんなカメラか。世界の名だたるフィルムメーカーのなかで、35ミリ専用機を最後に発売したのは他ならぬ富士フイルムだから、肩に力の入った機械を想像される方も多いだろう。でも実機に触れるとそういう気負いはあまり感じられず、むしろ節度をわきまえた大人の道具という雰囲気である。
 もちろん、普通のカメラとは違う部分も少なからずある。それはたとえば底面に置かれた巻き上げレバーであったり、側面配置の巻き戻しクランクであったり、そして背面に顔を覗かせるピントリングなどだ。とはいえこうした点はすべて他社製品に前例があるので、独自の意匠というほどのものでもない。

 発売から半世紀を経た今、このカメラを眺めて感じるのは、そのたたずまいの品の良さで、また使ってみて思うのは、使い手に優しい気配りがあるということ。これは昭和三十二年の日本の社会が、今とはかなり違う空気に満ちていたためだろう。鏡胴に切られたふたつの窓(それぞれ絞りとシャッタースピードの確認窓)など、昔のシトロエンのスピードメーターのように視認性に優れ、老眼の僕にも瞬時に読み取れてありがたい。
 フジカ35Mの定価は15900円だったという。当時としては気軽に買えないカメラだったと思うけれど、でもこの値付けはおなじ年に発売されたコニカIIIのほぼ半値である。ではお金のかけ方も半分だったかといえば、そんなことはぜんぜん無くて、レンズも立派なものが付いているし、ファインダーには高価なガラスブロックのプリズムが奢られ、視野にはパララックス自動補正のブライトフレームが浮き上がる。コストセーブが下手というより、たぶんこのカメラは、35ミリフィルムの普及を視野に入れた戦略商品だったのだろう。

 感触の良い開閉キーを押し下げて裏蓋を開けても、そこにあるのは後のフィルムカメラで見慣れた風景で、特に変わったところはない。ただし片側二条のフィルムガイドレールを持つシャシーは、今の目で眺めても上質だし、樹脂製の巻き上げスプールに至るまで手抜きのないつくりである。
 そうして感心しながら子細に観察して、ふたつのことに気付いた。ひとつはその後のカメラで欠かせない存在となるモルトプレーン(発泡ウレタン製の遮光材)が、本体と裏蓋の嵌合部に使われていないこと。今と違って感度の高いフィルムが存在しなかった時代を偲ばせるつくりだけど、ナチュラ1600を詰めて日中の屋外を散歩してもカブリは皆無だったから、工作精度は確かなものがある。
 もうひとつは、裏蓋の内側に貼られた「FUJI FILM」のシールの存在で、これはフィルムメーカーのカメラでは標準装備みたいなものだ。ハードとソフトを両面から供給する会社ならではの、ささやかな商売っ気だろう。
 半世紀前に貼られたそのシールを眺めながら、おなじブランドのフィルムを今でも詰められること。これをささやかな幸せと微笑むより、これから五十年後にもこのカメラが現役であるよう、頑張ってフィルムを通そうと思う今日この頃なのであった。

制作協力:脊山麻理子


2008年01月09日掲載

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