* 連載フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


写真
---> 拡大表示

ペンタコンにフレクトゴンをねじ込み、ナチュラ1600で撮る。カメラは50年代、レンズは70年代、そしてフィルムは21世紀の製品だ。
Zeiss Ikon Pentacon + Flektogon 35mmF2.4 / FUJICOLOR NATURA 1600
(C)Keita NAKAYAMA



写真
---> 拡大表示

持つべきものは美人の飲み友達。70年代半ばのコニカ中級機で、絞り開放1/8秒。
Konica Acom-1 + Hexanon AR57mmF1.4 / FUJIFILM Neopan100ACROS
(C)Keita NAKAYAMA



写真
---> 拡大表示

由緒正しき血統を感じさせる二台。後ろのペンタコンは世界初のペンタプリズム搭載一眼レフ「コンタックスS」として1949年に登場、のちに東側ツァイスがその商標権を失ったため改名されたモデルだ(ペンタ部に刻まれたレリーフはドレスデンに遺る「旧エルネマン社の塔」である)。M42スクリューマウントを持つため膨大な数のレンズが使えるが、実用性には疑問も残る。ただし基本性能は流石のツァイス製品、整然と揃ったコマ間など現代機にひけを取らない。手前は90年代半ばの京セラ・コンタックスRX。初代RTSの流れを汲むデザインには遠い先祖へのオマージュが感じられる。
(C)Keita NAKAYAMA

『SLRとの対話 #1』

 仕事がら、ひとに会って話を聴く機会が多い。いやどんな仕事でも会話はコミュニケーションの基本だろうと言われれば確かにそうである。でも僕の場合は取材という、いわば公式なコメントを受け取る仕事なので、会話の内容も普通とすこし違ってくる。タテマエと本音を注意深く選別しつつ、望ましい着地点を探さないといけないのだ。
 思い返して不思議なのは、雄弁な話し手よりも、むしろ寡黙な人物の印象が深いことだ。それは話を引き出すのに苦労したためだろう。こちらは遠回しの問いかけを避け、なるべく本質を突くよう心を砕く。そうしてすくない言葉によるやりとりの間、お互いに「次の一手」を探り合う、その緊張と余韻が永く記憶に遺るのだと思う。
 機械との対話もこれと似ているところがある。写真の話でいえば、昔のカメラはとても寡黙で、今よりもずっと実直だった。使い手の意図を先読みした答えなんて、逆さに振っても出てこない。だから問いかけも「こんなことがやりたいんだけど」みたいな曖昧なものは御法度、単刀直入に「これ、出来るか」と尋ねる。返答は「出来ますよ」より「無理ですね」の方がずっと多いので、会話を愉しむにはまるで向かない相手である。
 だがそういう相手が頼りになる場合だってあるのだ。

 さて。過去にこの連載で紹介したカメラはどのくらいになるか、ざっと数えてみたら60台とちょっと。なかで採り上げた機種にレンジファインダー機、それもレンズ固定式が多いのは、設計のコンセプトがつかみやすく、しかも値段が安いからだ。
 これがレンズ交換式のカメラになると、その全容を知るにはけっこうな投資が必要になる。趣味に見返りをもとめるのもどうかと思うが、たとえ仕事でもライカなど(僕の場合は)償却の目処も立たない。いや失礼、ここでお金の話はしないことにしていたんだっけ。
 もうひとつ、一眼レフを避けてきた理由がある。それはこのタイプのカメラが(僕にとっては)まんま仕事の道具だからである。といって写真の仕事にもいろいろあるけれど、まずたいがいの場合、その道具には即時性と確実性が求められる。だから仕上がりのイメージがつかみやすい一眼レフ、それも新しい機種ほど要求に適う。使わない機能も増えているけど、これはサービス精神旺盛な話し手みたいなもので、必要なところだけ抜き出せばいい。
 それが、この連載であつかうような旧い機種だとどうか。レンジファインダー機の場合はたいして問題がない。露出関係を除けば新旧に決定的な差はないし、そもそも用途によって得手不得手がはっきり分かれるカメラだから、仕事での出番は限られる。それでも趣味の道具としての魅力はじゅうぶん、だからここで紹介する頻度も高くなる。
 いっぽうで一眼レフはどうかといえば、やはり大昔の機種には実用上の問題が多いと思う。暗く、合焦面が正確に分かりづらいファインダー。騒々しくてショックも大きいレリーズ感覚。重く大柄なボディ、歪曲の目立つ広角レンズ。苦痛を快楽にすり替えるクスリと見立てても、そのプラシーボ効果の持続性はあまりに短く、下手をすると撮影行の半ばで切れてくる。二服目はまったく効かない。
 と、まあそんなわけで、僕は趣味の道具としての一眼レフにはあまり魅力を感じていなかった。機能優先の潔さは認めるものの、旧い機種ではそこに情緒性が見いだせないものが多かったからだ。

 もちろんこの話には続きがある。欠点は多少あるものの、偽薬の効き目が長い一眼レフ。というより、ちょうど良い寡黙さを持ち合わせた頼れる道具。それは70年代の国産機を探すと見つかった。

*モデル:河合悦子・宮崎優子


2008年02月06日掲載

<--Back     Next-->

東京レトロフォーカスの目次へ--->



Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部