* 連載フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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祭りの午後に。
Konica Acom-1 + Hexanon AR40mmF1.8 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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オールドレンズは光に敏感。ちょっとした逆光や露出の過不足で描写が変わる。性質を知るには時間がかかるが、そこが面白いところだと思う。ヘキサノンARレンズの掉尾を飾る傑作、28mmF3.5(最終型)で撮影。
Konica Acom-1 + Hexanon AR28mmF3.5 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA



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神輿が社に戻る頃に。古典カメラとネガカラーの組み合わせはこういう時間帯が美味しい。
Konica Acom-1 + Hexanon AR57mmF1.4 / FUJICOLOR PRO400
(C)Keita NAKAYAMA

『SLRとの対話 #11』

 ついせんじつ、地元の祭りに写真仲間を招く機会を得た。遠くは浜松から参加くださった方々も含め、皆それぞれに素晴らしい写真を撮る方ばかりで、しかも例外なく古典写真機の愛好家である。持ち寄るカメラ(定番のライカから大判まで)にもそれぞれの写真に対する考え方が現れていて、これはとても興味深かった。
 なかでも感心させられたのが、ベテランM氏の選択である。ライカやローライなど名だたる名機を所有され、しかもそれぞれの愛好家クラブに籍を置かれる氏のことだから、というこちらの期待を見事に裏切り、この日に持参されたのは中級AFカメラとレンズメーカー製高倍率ズーム(28-300mm)の組み合わせ。およそマニアックという言葉の対極に位置するような機材選択だったけれど、後日にアガリを拝見すれば、これはもう納得するしかない素晴らしい仕上がり。コアな愛好家からは軽視されがちなズームをどう使うべきか、分かる人はちゃんと分かっているのだ(僕はいまだによく分からない)。

 さて、この連載で70年代の国産SLRのことを扱うことにしたので、僕もその当時のズームレンズを何本か入手した。そのうちの一本、ヤシカMLズームで撮った写真は前回に掲載したけれど、他のレンズはちょっと試用したのみで半お蔵入り状態。出番はちょっと見えてこない。
 などと否定的に書くと、また重箱の隅をつついて描写の欠点を暴くと思われそうだが、べつだんそういうつもりはない。この時代のズームはどれも最短が遠いとか周辺がアマいとか、歪曲が大きいとか発色が悪いとか、逆光に弱いとか、まあそういう問題は大なり小なり抱えている。素晴らしい鏡胴工作から富岡光学の後光が射しそうな先のヤシカMLズームにしても、最短はなんと1メートルだし(なんだかんだと欠点暴きまくってますね)。
 でもまあ、そういう問題は古典機材に共通する弱点でもある。つまり「使用上の注意をよく守って」みたいなお約束なので、弱点を作画に活かすことだってできるはずだ。あまり寄れないのは困りものだけど、超絶的に寄れるズームというのも存在する。これは近々紹介の予定。
 僕がズームレンズを趣味的に使う気になれないのは、自分の撮影スタイル(標準から広角系の画角で人物をスナップ的に撮ることが多い)に合わないから、というよりも、便利な道具に頼りすぎるとアタマが働かなくなるからだ。被写体との間合いは自分で動いて決めたいし、思うように動けない場合は別の撮り方を考える。そういう不便を愉しく感じるようになったのは、この連載を通じて古典カメラと付き合うようになってからのことなので、今さら逆戻りはできない。
 もちろん、上に挙げたM氏のように「写真機材は写真表現に奉仕すべき」という考え方もあって、それは全面的に正しいと思う。また現代のズームレンズは、日本の光学技術の結晶のような製品ばかりで、もやは単焦点レンズのアドバンテージは(少なくとも描写性能のうえでは)ほとんどないと言っていい。
 と、そう自分では納得しつつ、じっさいにカメラを持ち出すだんになると、ズームには手が伸びない。これは機能優先のSLRよりも、ちょっと曖昧なレンジファインダー機に手が伸びやすい理由と、どこかでつながっている気がする。何故なのか、もう少しじっくり考えてみることにしよう。


制作協力:クニトウマユミ


2008年07月16日掲載

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