* 連載フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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火遊びは大人になってもちょっぴりキケン。
Leica M5 + Summicron 35mmF2 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA




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最高のロケーションと絶妙のポーズ。でも自分の影はぜったい切れない。さてどうしよう?
Leica M5 + Summicron 35mmF2 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA




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「もう一回やって」とはいえない仕草。重要なのはタイミングを逃さずに撮れるカメラ、ではなくて、カメラの前で自然にふるまってくれる被写体だ。
Leica M5 + Pentax 43mmF1.9Spl / FUJICOLOR PRO400
(C)Keita NAKAYAMA


『キャンドルライトと引っ越し魔』

 引っ越し好きの友人がいる。独身の女性で、職業はグラフィックデザイナー。年齢は伏せておこう。

 ふつうのひとにとって、引っ越しというのは手段であって目的ではない。それを趣味にできるとしたら、もうそれだけでじゅうぶんな才能だと思うのだが、彼女の引っ越しはさらに天才と紙一重的なものである。なんと、引っ越しの度に、家財道具をいっさいがっさいきれいに処分して、まったく新しい居住空間をつくりだすのだ。
「(新しい部屋に)持っていくのは服とパソコンくらいかな。食器も全部取っ替え。気持ちいいよ」
 じつは彼女がもうひとつ手放さないものがあって、それは酔談のおりに聞き出したのだが、お気に入りの映画ソフトなのだそうだ。監督はフェデリコ・フェリーニとスタンリー・キューブリック。彼女はこのふたりを「この世でいちばん尊敬する映像作家」だという。いちばんが二人いるのは変だ、と突っ込まないでやって欲しい。海の向こうにはOne of Bestという言い回しもあるのだから。

 フェリーニとキューブリックは、年齢はすこし離れているけれど(フェリーニが8つ年上)、まあ映画人としては概ね同世代といって差し支えない。ふたりとも映画に関わる前はジャーナリズムの世界にいた、というのも共通している。フェリーニの前職は新聞記者、キューブリックは報道の周辺にたむろするカメラマンだった。
 このことがふたりの作風にどういう影響を与えたか、それはいろんなところで語られている。ただしヴィジュアルセンスにおける共通点はほとんどない。というより、ふたりのそれはほとんど対極に位置しているように思える。天才的な夢想家のフェリーニ、どこまでも透徹した現実主義を貫くキューブリック。どちらも素晴らしい映像世界を紡ぎ出して見せてくれるけれど、僕はこの点ではフェリーニの肩を持ちたい。夢を夢として描いて、それを立派な商品に仕上げられてしまっては、現実主義の勝ち目は薄い。

 フェリーニがスチルカメラを手にした写真というのは、僕はいちども観たことがないけれど、キューブリックにはその手の写真がたくさんある。多くはローライの二眼レフで、ライカ(バルナック型、たぶん戦後のIIIf)を手にした若き日のセルフポートレートもなかなかに「決まって」いる。
 そういうスチルカメラの使い手としての経験と知識は、キューブリック作品のいろんな部分に息づいている。たとえば「バリー・リンドン」という文芸映画の撮影で、夜の室内を蝋燭の明かりだけで撮る、ただそれだけのために特殊な大口径レンズ*を調達し、映画会社の倉庫から引っ張り出したシネカメラを改造し、あまつさえ特注のコンバージョンレンズまでつくらせてしまう。結果として得られた映像はたしかに見事なものだったけれど、こういうオタク的こだわりが作品にどれだけ寄与しているかは、観るひとによって意見の分かれるところだろう。
 対するフェリーニはというと、件のキューブリック作品の翌年に発表した「カサノバ(原題は“フェリーニのカサノバ”)」で、まったく別のアプローチをとる。やはり夜のシーンが多い古典ものの文芸映画で、彼はチネチッタ撮影所につくられた巨大セットを、舞台照明そのものの手法で照らして見せた。そればかりか、荒れ狂う海のシーンなど、波をビニールでつくってしまったのだ。「どうせお話なんだから、これでじゅうぶんだろ」と言わんばかりに。

 けっきょくのところ、映画もスチル写真も、いや映像作品というものはほとんどすべてが、作者のアタマのなかのイメージ、もっといえば妄想から生み出されたものだ。妄想はぶつけると簡単に凹んでしまうから、ひとによってはリアリティで補強したくなる。そこで妄想を現実に変える道具として、カメラとレンズとフィルムは進歩を続けてきた。上に挙げたふたつの作品も、今の技術があればもっと違う方法で撮られたはずである。

 さて、偉大な映画監督のように、いろんな才能に恵まれたひとならいざしらず。僕みたいな凡庸な人間は、機材選びにばかり悩んでいるうちに、さいしょに思いついたイメージがどこかに行ってしまう。「あのカメラを使えば、このレンズで撮れば」などとやっているうちに、自分が何を撮りたいのか分からなくなる。そもそも撮りたいものってなんだっけ?
 そんなとき、「ベティ・ブルー」の冒頭のエピソードみたいに、手元に溜まった旧いカメラをいっさいがっさい窓から放り投げてしまえたら、どんなに楽になるだろう。そうだ、それでクルマで放浪の旅に出て、田舎町でピアノを売って・・・ と、引っ越しマニアの友人にこの話をしたら。 「そんなの、できっこないじゃん。あれはお話だよ」


モデル:TeTe


*注:この映画の撮影に使われたレンズは西独カールツァイス製「プラナー50mmF0.7」で、NASAが月探査用に特注したものだという。キューブリックと同レンズの関係はカメラ好きの間でつとに知られた逸話だが、ある伝記本には「ほとんど使い物にならなかった」という関係者の証言が紹介されている(絞り開放付近で被写界深度が浅すぎるため)。


2008年11月19日掲載

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