* 連載フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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まるでテンペラ画のような、フィルムの乳剤に混ぜものをしたようなトーン再現と不思議な立体感。この演出はレンズに仕組まれたものなのか。
Kodak Signet 35 + Ektar 44mmF3.5 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA




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シグネットのエクターが現代のレンズと違うのは、露出の過不足にあまり寛容でない点。オーバー目の露出では(ネガフィルムでも)コントラストが立たず発色も転ぶ。それをポジティブに捉えれば、これは表現の道具としてまたとない個性だと思う。
Kodak Signet 35 + Ektar 44mmF3.5 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA




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全身これ軽合金の塊、といった風情のコダック・シグネット35(1951ー58年)。ダイカスト製法ならではの質感、造形の自由度を見事に活かしきったデザインは、コダック社のアーサー・クラプシーの手になるもの。滑らかな曲面と横線の反復を主題とする意匠に二十世紀初頭のアメリカン・アールデコの名残が看て取れる。レリーズレバー、ピントリングの指当て、そして巻き上げ/巻き戻しノブは「アメリカ人の手に合わせたサイズ」だが、シンメトリックなボディとのバランスが保たれているのはデザインの妙味か。クラプシーはこの基本デザインに相当な自信があったようで、同時期の他の作品にも使い回されている。(機材提供=池田信彦氏)
(C)Keita NAKAYAMA


『マゼモノ -mixture- #1』

 昼下がりの蕎麦屋が好きだ。客足が途絶えたあとの、緩めに絞った布巾の拭き痕が残るテーブルで、賄いの会話を小耳に、空気に混じるわずかな蕎麦の香りを嗅ぐ。寒い季節には焼き海苔の炭火で掌を温めながら、蕎麦前を傾けるのもいい。もうひとつ、カメラをテーブルに気兼ねなく置けるのも蕎麦屋のよいところだと思う。寿司屋のカウンターではそうはいかない。
 締めの蕎麦は「ざる」というのが通人のならわしだそうだが、べつだん「盛り」でも「せいろ」でも構わない。冬ならば早めに鴨せいろを頼んで、つゆが冷めないうちにせいろをもう一枚。蕎麦の香りや食感にこだわっていたころは、手打ちで十割とか外一を出す店を探し歩いたのだが、さいきんは二八で満足して、ガラス越しに蕎麦打ちの儀式を見せる店にもあまり足が向かなくなった。
 いや、そういう儀式を見せたがる店主の気持ちもわからないではない。蕎麦の命である食感は、打ち手の手さばきでおおかた決まってしまうからだ。この食物がやっかいなのは、原料の蕎麦粉に水を加えても粘りがほとんど生じず、悪くすれば「固めた粉を食す」という風情になる。だから小麦粉などのつなぎを使うのが一般的なのだが、練達の打ち手は十割(蕎麦粉だけ)でも望ましい食感を出してみせる。鰻屋ではないが、「蕎麦打ち何年」の修練ということだろう。
 蕎麦に限らず、日本人は混ぜものを好まないところがある。その気質を逆手にとって、「○○100%」「添加物不使用」などの惹句もよく目にするけれど、それが自分にとって望ましいのか、どういう結果に結びついているのか、いちいち考えをめぐらすのは暇な証拠だろうか。


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 ところで、カメラという機械はいったいどんな原料でつくられているのか。この連載を読んでくださっているあなたなら、真っ先に金属とガラスを思い浮かべることと思う。解答欄が三つ以上ある場合、不承不承でプラスチックなどの人工樹脂を挙げるか、もっと時代を遡って、木材や皮革などを書き込む方もいらっしゃるだろう。大昔の(今でも稀にあるけれど)木製暗箱などは天然素材そのもので、どことなく十割蕎麦につうじる香りが漂う。
 もちろん、カメラがどんな素材でつくられていたとしても、写りの質とはあまり関係がない。細かいことを言えば写真レンズはそのガラス材料の組み合わせによって性能が変わるし、暗箱部分にしても組み立て後の寸法精度に劣るものは、いずれ写りに悪い影響が出るだろう。
 とはいえ、ほとんどの場合、工業製品であるカメラの素材は原料コストや加工の容易さ、それと耐久性のバランスで決められてしまう。昔のカメラが金属部品を多く使っていたのは、この連載を読んでくださるあなたのような、感触をたいせつにする趣味人の要求に応えたものではなく、もっぱらつくり手と売り手の都合によるものなのだ。

 つくり易さと使いやすさ、という点では、素材はなるべく軟らかく軽いものが望ましい。性能が長く保たれることを良しとするならばその逆だ。そこで強度や精度がもとめられる部分には金属を、そうでない部分には樹脂素材を、というのが大まかな棲み分けだけれど、樹脂素材そのものが進歩した今では、金属でなければ成り立たない部品はずいぶん減ってしまった。今では拳銃の銃身だって樹脂でつくれるそうだ。
 そんな夢の素材が手に入るずっと以前のこと、カメラのつくり手たちは何を基準に材料を選んでいたのか。これはそういうお話である。


制作協力:クニトウマユミ



2008年12月03日掲載

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