* 連載フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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「BOYISH #2」さっさと撮ンなさいよ、というこの表情が好きだ。
Kodak Signet 35 + Ektar 44mmF3.5 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA




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ガラス越しの猫。フレアのように見えるのは室内の反射、周辺が落ちているのは環境光の偶然で、シグネットのエクターは周辺光量が豊富だ。
Kodak Signet 35 + Ektar 44mmF3.5 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA




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ライトアロイのアート。全体を三分割したボディの加工精度はひじょうに高く、ダイカストの型から抜いた後の二次加工(研磨と軽いヘアライン入れ)も最小限で済ませているように思える。レリーズレバーもダイカスト製だが、基部に残る凹凸(金型製作時の不首尾)は画竜点睛を欠くというべきか、アメリカらしい大らかさと笑って済ませるべきか。ボディ側面に見える金具はこのカメラで数少ないスチール製。わずかに見える突起を押してスライドさせると裏蓋がそっくり外れるのだが、そのスライドの感触が素晴らしい。(シグネット35機材提供=池田信彦氏)
(C)Keita NAKAYAMA


『マゼモノ -mixture- #2』

 子供のころ、通学路の商店街にたい焼きを売る店があり、よくそこで時間を潰した。それが好物というわけでもないのに、なぜ時間を潰せたのかというと、店頭に「自動たい焼き製造ライン」が流れていたからだ。
 そのラインとは、楕円の軌道上をたい焼きの型が周回するというお馴染みのもの。型が一周するあいだに素材の注入(皮と餡の二種類)から加熱成形、完成品の取り出しというプロセスが無人で粛々と進行する。この眺めがたいそう面白く、いつもガラスに鼻を押しつけるようにして見入っていた。ガラスに鼻の痕を残すだけでは気が引けたから、三度に一度くらいは買って、冷めないうちに歩きながら食べた。
 おなじころに学校の社会科見学で、自動車工場を観る機会があった。工場の巨大なラインには人気のスポーツカーが流れていたけれど、僕の心には街のたい焼きづくりの方がずっと「来るもの」があった。今にして思えば、あの店頭はマスプロダクションの縮図だったのだ。

 たい焼きのように型に素材を流し込むものづくりは、昔からいろんな分野で行われている。砂や石膏の型に青銅を流せば仏像が、金属の型に樹脂を流せば*カメラやケータイのボディができあがる。素材が金属の場合は「鋳造」といい、樹脂なら「射出成形」になる。たい焼きやタコ焼きのように小麦粉をつかう場合はなんと呼ぶべきか、よくわからないのだが、使われる焼き型は鋳造品である。
 この方法がすぐれているのは、金属や小麦粉ではむつかしい複雑な形状もかなり忠実に再現できること、そしておなじカタチのものを大量につくれる点である。つまりアートから兵器の製造まで応用範囲がひろい。特に大量の複製を容易につくれる利点は、近代の大量生産・大量消費の流れにおおいにフィットした。

 カメラ製造の分野に鋳造部品がつかわれるようになったのは、おそらく二十世紀半ば、それも第二次大戦を挟んだあたりのことと思う。それ以前の金属カメラはおもに鉄や真鍮の部材を折り曲げる板金加工、または圧力を加えて変形させるプレスや絞り加工で形状と機能を得ていた。これは今でも盛んに使われる手法ではあるけれど、自動機械が存在しない時代、そのプロセスは職人の手技にたよるしかない。加工に人間の手がかかる、ということは、すなわちコストアップを意味する。
 階級制度が色濃く残る旧大陸では、そういうカメラづくりは長く容認されていた。カメラは一部の富裕階級のものだったし、職人の賃金もわりあい低く抑えられていたからだ。でも海を渡った新大陸では、経済を動かすのはもっぱら大衆の力である。カメラをたくさんのひとに使ってもらうためには、なるべく安く供給するしかない。それには職人の力にたよらない、新しいものづくりの仕組みが必要だ。
 米国を代表するカメラメーカー(といっても、ほとんど寡占事業に近い)コダック社が、その初期のころから低廉なカメラ造りに熱心だったのは、こうした理由による。最初期の製品は「カードボード」つまり樹脂で固めた木質繊維でつくられていた。1930年代頃からは、これに変わって樹脂モールドによる一体成型のカメラがつくられはじめる。金型に樹脂を注入してカメラボディをつくるこの方式は、旧来の板金細工では不可能な高い造形の自由度、部品の寸法安定性に加え、少ない労働力で大量の複製が可能だった。

 世界を巻き込んだ二度目の戦争が終わり、米国が空前の好景気に沸く1950年代。コダック社はそれまでにないコンセプトの高級機を発売する。それは樹脂の量産性に加え、戦後新たに生まれた「アッパーミドル」な大衆向けに、すぐれた品質感を持たせたカメラだった。そのカメラ「シグネット35」の軽合金鋳造ボディは、まるでメッキをかけたブロンズのオブジェのように見えた。


model=yuko & neko


*注:樹脂素材による射出成形(インジェクション・モールディング)はプラモデルでお馴染みのものだが、型に材料を「流し込む」というのは正しくない。樹脂は金属のような高温で扱えないため、流動性を保つには圧力をかけて注入する必要があるからだ。


2008年12月17日掲載

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