* 連載フォトエッセイ*

Classical Photo-gear Explorers 東京レトロフォーカス

  文・写真/中山慶太 --->Back Number


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午後の光を美しく表現するエターIII。今回はハレ切りなし。
ETA Etareta + Etar III 50mmF3.5 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA




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逆光で暗部が浮きハイライトも飛び気味、コントラストは後処理で出せるがやらない方がいい。甘い描写に見えるのは前ピンで絵をつくっているため。
ETA Etareta + Etar III 50mmF3.5 / FUJICOLOR REALA ACE
(C)Keita NAKAYAMA




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シャープなラインで被われたエタレータは意外にも持つ手に優しい。これは外周の峰の部分がていねいに面取りされている(幅約1ミリ、ボディと軍艦部の接合面は0.5ミリ)ためで、鋳型から抜き出した後の二次加工はひじょうに念入りに行われている。鏡胴基部のリングは粗めの梨地めっきをかけたもの。部材はやはり鋳造品だが素材はボディと明らかに違う。現存する個体はここにめっきの荒れが目立ち、そこから覗く地肌と手触りから素材はマグネシウム主体のようだ。沈胴時に隠れる鏡胴のバレル部はボディと同種のアルミ合金、先端のリング状部材やレバー類はおもに真鍮製。製造年次を考えれば各部の工作レベルの高さは驚異的だが、それを実現しているのは熟練の職人技である。
(C)Keita NAKAYAMA


『マゼモノ -mixture- #6』

 趣味で弾いている楽器の弦を換えたら、音がまるで変わってしまった。よくあることだ。でも今回はずいぶん様子が違うので、どこでつくられたのか調べてみた。
 最盛期のカメラメーカーほどではないけれど、弦楽器の弦には無数の銘柄が存在する。そうした製品がすべて自前の工場でつくられているのかといえば、そんなことはなくて、文字通り「メーカー製」と呼べるものは両手の指で数えられる程度らしい。その他大勢のブランドは、そういうメーカーに仕様を指定してつくってもらっているのだという。
 問題の弦は、ニューヨークの小規模な工房が、自社の楽器にあわせて開発したもの。楽器は高価でおいそれと手が出せないが、弦はごく普通の、というかけっこう良心的な値付けだ。簡素なパッケージには製造元の手がかりなどないので、輸入元に問い合わせたところ、意外な答えが返ってきた。なんと「弦はトルコ製」だというのだ。

 工業製品にはお国柄がよく現れる。というのはちょっと昔の話で、今ではなにをどこの国でつくってもたいした違いはなくなった。グローバリゼーションという名の平準化が進んで、ヒトとモノとお金がたやすく国境を越えるようになって、生産の現場には日本流の管理システムが持ち込まれる。そういう時代には「メイドインどこそこ」の表記もあまり意味を持たないのだ。
 昔を知るひとなら、買い物にロマンやスリルがなくなったと、そう嘆くかもしれない。でも「餅は餅屋」の言葉が、まるっきり意味を失ったわけでもない。伝統的に強い分野を持つ国にはちゃんと注文が来る。トルコ製の弦にはちょっとびっくりしたけれど、売り手が主張するところによれば「トルコには金属をあつかう長い歴史がある」のだそうだ。そういえば、ジャズやロックで使われるドラムのシンバル。あれのメーカーは大半がトルコにルーツがあるのだっけ。

 金属をあつかうのが得意、といえば、チェコもそうである。プラハの街を歩いていると、建物の扉や窓にやたら複雑なパターンをあしらった金属装飾が目に入る。いわゆる鍛鉄工芸、つまり鍛冶職人の仕事で、パリのアールヌーヴォー装飾をもっと劇画調にしたような(ギーガーのデザインソースみたいな)雰囲気だ。多くは「セセッション」と呼ばれる芸術~建築運動の遺物で、19世紀末から20世紀初頭のプラハはその中心地だった。
 チェコのひとたちが金属に強いのは、鍛冶屋の伝統が長いから、だけではない。じつはこの国、中世からオーストリア帝国の工場として機能するいっぽうで、錬金術の研究も盛んに行っていたという。じっさいにプラハ城の敷地内には、錬金術師たちの仕事場を集めた怪しげな一画があって、今では心霊スポットならぬ観光スポットになっている。
 中世に跋扈したアルケミストたちのもくろみは、どうやらことごとく失敗に終わったようだけれど、彼らのケミカルな「マゼモノ実験」はいろんな副産物を生み出した。冶金や精錬そして合金の製法など、金属を工業材料に転生させる手法は、錬金術を体系にふくむ学問から生まれたものなのだ。
 鉱石から金属を取り出し、それを混ぜ合わせて別の性質の素材を得る。そういう試みは昔から世界のあちこちで行われていたのだが、それが国家規模での工業と結びついたのはほんの百年ほど前のことだ。その近代と呼ばれる時代、チェコのひとたちが一歩ぬきんでた知識と技術を持っていたことは、彼らがつくったカメラをみればよく分かる。それはメカニズムやデザインではなく、それを包み込む部分の見事なつくりで観るものを惹きつけて止まないからだ。


制作協力:クニトウマユミ


2009年3月4日掲載

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