写真
---> 拡大表示

黒スモークを流しますと
ひと味違います


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 19 エキストラ その3 「Running Man」

 鳴り響く半鐘、流れる人の波、ある者は家財を抱え、ある者は子供を守り、人々は安全の地を求めて逃げてゆく、道のあちこちには警官や印半天の消防団員がいて声を嗄らして叫んでいる「こっちです、いそいでください」

 これが「怪獣から逃げる人々」の図である、昔は大八車を曳く人、唐草模様の風呂敷包みを背負う人などが配置されていたが今は渋滞した車の列とその脇を徒歩で逃げる人を配置すべきところだろう。

 さて人は前2回に引き続き私がこれを「映画的記憶」と決めつけるに違いないと思うだろうがそうではない、この「逃げる人々」が日本初の怪獣映画「ゴジラ」に端を発するのは言うまでもないと思うが、この映画の公開は昭和29年、終戦からわずか9年しかたっていないのだ、エキストラに駆り出された人々の戦争の記憶はまだまだなまなましい、中には空襲の中を燃える街から家族の手を引いて命からがら逃げた人だっていたかもしれない、親しい人を一切失うことがなかった人などむしろ幸運の内に入っただろう。

 だから人々の表情は真剣だ、「怪獣」というものがいなかった時代「怪獣から逃げる人々」というものをリアルに想像出来た人間がいるはずはない、にもかかわらず画面から伝わる混乱と恐怖はリアルだ、それはシチュエーションの共通点から人々が「怪獣」を「戦禍」に置き換えたからに他ならない。

 しかしそれから半世紀が過ぎた。

 戦争の記憶は風化し、怪獣映画のかかる映画館には戦争を知らない子供たちの子供がその子供を連れて訪れる、怪獣は子供の友達になり「映画で共演する」ことは大変に楽しいイベントとなった。
 それゆえ「怪獣から逃げる人々になってみませんか?」という呼びかけには多くの申し込みがある、ちょっとした記念品がもらえるだけの無料奉仕であるにもかかわらずだ。

 せんだっては募集に応じて400人の「逃げる人びと」が集まった、人々は助監督の指示に従いあっちからこっちへ、こっちからあっちへと逃げ惑う。

 ・・・いや、実は正確にいうと「惑って」はいない、本来であればあっちへ逃げる人、こっちへ逃げる人、立ちすくむ人、転ぶ人、転んだ人につまづいて転ぶ人を配置しなくては「逃げ惑う」絵にはならない、しかし今回は400人、しかも全員素人である、そんな演出をしたら将棋倒しを引き起こしかねない、製作側としてはまずは事故なく全員無事に帰っていただきたいのである。

 というわけで全員が同じ調子で同じ方向へ走るだけのその絵は「逃げる人々」というよりは「市民マラソンのスタート直後」みたいに見えるのだが、これは助監督の意識の問題などではなく映画製作の現状からくる限界と言えるだろう。
 (それでも転んでケガする人間は出てしまうのだ)

 さてそのように楽しいイベントに参加してるわけなので、顔がほころぶのは人として当然だろう、助監督連中は「笑わないでください、歯を見せないでください」と叫び続けだがこれだけの人数では目も届かない、たとえ笑った人がいても強くは言えない(なにしろノーギャラなのだ)残りの399人に「笑っている人がいたのでもう一度やります」とも言えない、結局カメラの近く、目のつくところで笑っている人間がいないことを神に祈るしか出来ないのだ。

 ために(これは以前合成屋さんから聞いたのだが)どうしても使わなくちゃならないカットのどうにも目立つところで笑って走っている人間がいたので、その顔を手作業で追いかけ合成処理で「顔をはめ替えた」という笑えない話になったりする。

 でもまあしかしカット自体の演出が上に述べたような制約によってあるていど記号化してしまっているので表情にのみ迫真の演技を求めるのもヘンかもしれないし、そもそも「迫真の演技」というものが変質しているとも言える。

 と言うのは、メタフィクションじみた話になってしまうけれど、怪獣がお友達になってしまった今、怪獣から逃げる人々が恐怖と絶望に打ちひしがれていたらそれはそれで違和感があるだろうということだ、観客の代弁者である「逃げる人々」は怖いふりをしているくらいがちょうどいいのかもしれない。


2002年02月20日掲載

<--Back     Next-->



Webmaster :
ammo@tokyo.fujifilm.co.jp
Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部