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* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 24 面白い映画を作れ

 予算少なく(ギャラ安く)社会全体から見てもあまり良いとはいえない労働条件で踏ん張っている映画のスタッフを支えているのはお客に面白がってもらいたい、そのためにはなにがなんでも盛り上げてやるぜ、という心意気だ。

 ところが時に「面白さ」に1センチでも1ミリでも詰め寄ろうとする気構えがない野郎が(・・って、失礼!つい下品な言葉を使ってしまいましたが)これは社会性を、あるいは芸術性を持っている−つまりは「良い作品」ですという−作品を発表することがある。

 こういう映画は高尚の鎧を身にまとっていることが多いので、裸の王様効果(?)が生じ、持ち上げる評論家や半可通が出たりするものだ、が一般の客がつきあう必要はない。

 「面白くない映画は観る価値がない」とお金を払う側の当然の理屈を述べればいいのだ。
 本当は良い映画なのに自分がわからないだけでは?という怖れから自分にはわからないものの世間の評判からこれは良い映画だと思いこむ、という行為はすべきでない、それは物差しを2本持つようなものであり、そんなことをしているといずれどっちの物差しが正しいのかわからなくなり、映画全体を楽しめなくなるだろう。

 自分にとって有効なのは自分で作った物差しだけだ(その精度に不安があったとしてもそれを確かめる方法はないのだから心配しても仕方ない)

 そもそも映画を見るというのはきわめて個人的な行為であり、誰のためにすることでもなく、してもらえるものでもない。
 世間的にそれがどんな通俗的な作品と見られていようとある作品が偶然ある人の心の奥底までとどく光になることはありうるのだ、そのときは真実それがその人にとっての「良い作品」でありこれを「良い」と言うのにはばかる必要はない。

 逆に言えばそれがどんなに世間で定評ある作品であってもいっこう心に響かないということはあり、それもまた真実であるはずなのだ。

 だから人は(あまり見当はずれでないことを祈りつつも)「あれは面白くない」「あれは非常に良かった」と自分の言葉で言うしかない。

 つまらない映画を観ると1800円なりと貴重な休日の半分を失う、その映画を見栄や気どりでよくわかったの良い作品だったのと言えばお金と時間以上に貴重なものがあなたから失われるだろう。




 「何か言わんとすることがあらかじめあったら、基本的にダメだと思う。何かを外から作品にこめようとしちゃダメだ。つくったものにおのずからこもっていなくちゃ」
日野啓三(※注)


※注:日野啓三氏 エッセイ「ある未来」より


2002年03月27日掲載

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