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フェリーの到着


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 40 中国ロケ 船着き場にて

 ロケ地は成田から上海へ、上海から西安へと飛行機で飛び、さらに車で北へ十数時間の旅をして「銀川」(インチョワン)にたどり着き、さらに仕切直して西へ数時間行った先にある寧夏回(ニンシャホイ)族自治区「中衛」(チュンウェイ)という町である、我々の感覚では地の果てと言ってよい。

 ロケ隊はここを本拠地にして砂漠や山岳地帯へと撮影に出る。

 ある日黄河を越えて先へ行くことになった、黄河の源流域と言われる青海省にほど近いこの地ではさしもの大河も石を投げれば対岸に届くほどの川幅しかなく、護岸も堤防もない。

 街道であるはずの道だったがそこに橋はなく、砂利道は坂をくだってそのまま川に消えている、渡るにはフェリー(というか、周囲に手すりもない筏のような台船でロケバスが乗るとあとは普通車3〜4台で一杯になってしまう)を利用するより他はない。

 帰り道、ロケ隊はこのフェリー乗り場で足止めを喰った、フェリーは対岸に居る、目と鼻の先で車両が待っているのだからさっさとこっちへ来りゃいいのに・・と思うのは日本人の考え方であり、我々はここで小一時間待たなくてはならないもののようだった。

 往きには気が付かなかったのだが、このフェリー乗り場のたもとには売店があった、だだっぴろい河原であった対岸と違いこちら側の岸には林が水際まで迫っており、木々に囲まれるようにして小さな小屋がたっていたのだ。

 暇になった映画屋は当然ドヤドヤとその売店に流れこみ、流れこんで驚いた、その小屋の中は全て土間になっている、広さは12畳くらいだろうか。
 片隅にはいろりがあって火が燃えており、いろりのそばには台所と食卓がある、壁際には2つ寝台が押しつけられていて、食器棚、衣装棚らしきものもある、どうみても普通の生活空間だ。

 その部屋のもう一方の壁にはガラスのショーケースがあって袋菓子とジュース、ビールが並んでいる、どうやらそこは店のオーナーである老夫婦の自宅であり、たった一つしかないその部屋は彼らの居間であり台所であり寝室であり、職場であり、その全てらしいのだ。

 たいして通行量もない街道でほそぼそとした商売をしていたに違いないその老夫婦は乱入(としか思えまい)してきた日本人撮影隊に仰天していた風だったが、中国ロケも1ケ月に近くいささか煮詰まってきていたスタッフは彼らのとまどいもなんのその、あるだけの袋菓子を喰い、ビールを飲み、それだけでは足りず冷えてもいないストックのビールまで持ち出させてそれこそイナゴのようにその店の商品を食い尽くした。

 その一味として若干の忸怩たるものがないでもなかったが、まあ人道にもとるわけでもない(お行儀が悪いだけだ)
 窓の少ないその部屋は薄暗かったが身を切るような冷たい風の吹く戸外とうらはらに暖かく、それなりにいごこちの良い空間ではあった、我々はそこでひとしきりの騒ぎを起こし、おそらくその店の何日分か(あるいはそれ以上か)の売り上げを残して風のように去った。

 3日後、長かった中国ロケも終わって我々は日本に帰った、それから10年、今でも時々あの小さな売店のことを私は思い出す、林に囲まれたあの場所であの夫婦はまだ商売を続けているのだろうか?

 確かめる方法はない、これからの一生なにがどうあってもあの店を訪れることはまずあるまいと思うと私はすこしばかり悲しい。


2002年07月24日掲載

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