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ムービーによる操演部記念写真


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 55 三たび What's MOVIE ?

 前回、映画とは「ムービーカメラでフィルム撮影するものである」と言えなくなってきた、という話を書いた。
 今回は「フィルムをスクリーンに上映するものが映画である」とも言えなくなってきたと言う話だ、なぜと言えばフィルムを使わない上映方式が登場してきたからだ。
 これは前回述べた「フルデジタル撮影」よりよほど早く、前の「スター・ウォーズ」(エピソード1)やフルCGムービーの「トイ・ストーリー2」などですでに始まっている。

 このテクノロジーはDLP(デジタル・ライト・プロセッシング)と呼ばれその中心となるのがDMD(デジタル・マイクロミラー・デバイス)いうマイクロチップである。

 この切手ほどの大きさのチップの表面には個別に動く130万個の小さな鏡が乗っている(!)

 この鏡によって外部から照射された光をスクリーンに反射させたりさせなかったりを決定するわけだ、鏡1個が画像の最小単位「画素」となるわけでスクリーンには 1280×1024 で 1310720 画素(コンピューター風に言えば「SXGA」の解像度)の絵を投影することになる。

 そしてDMDはこの鏡を毎秒数千回の速度で動かす(!!)

 マイクロチップの動作速度というものは日常感覚からかけ離れたものであることが多いが、それは電子的な話であって「ふ〜〜ん?」としか思われないのだが、これが「鏡を動かす」という物理的な動作であると聞くとちょっと驚く。

 DMDはこの速度を利用して光をスクリーンに送り返す頻度を変え1:1000のコントラスト(光の濃淡)を作り出すことが出来る。
 劇場仕様のDLPではこれをRGBの3セットを使用することでカラー画像を作り出している、ということは理論的には1000×1000×1000の10億色を作れるということだ(!!!)

 コンピューターでいうフルカラーが各色8ビット(256×256×256 階調) の1677万色でこれがすでに人間の認識力を超えていると言われるし、そもそもそんな色数を扱えるデジタル機器がないので意味はないのだが脅威的な能力と言ってよい。

 DLPは画像データー(というか音を含めた映画そのもの)をハードディスクに収めている、デジタル撮影された映画は一切フィルムを介在しないわけだ。

 このように先進的なDLPだが死角はないのか、と言えばそんなこともないわけで実のところ解像度が足りない。

 35ミリフィルムの解像度は3840×2070画素あると言われるので1280×1024のDMDは1/6以下の画素数しかない。
 フィルムも(オリジナルはともかく)上映用のコピーは解像度が低下していて1920×1440ドット程度になっていると言われているのだがそれでも半分以下の表現力しかないことになる。

 これは大画面でシャープな映像を見るには適さない(物の輪郭にジャギーと呼ばれるギザギザが見えてくる)デジタル撮影との親和性からまっさきに使われているものの実はデジタルムービーを見るには向いていないとも言えるのだ。

 技術的な話が長くなった、映画というものが今や「フィルムをスクリーンで上映するもの」という定義ですらなくなってきたという話だった。

 では映画とはなんなのか?

 ということになるが映画屋は今のところ誰もその問題に直面していない、言葉のアヤはどうあれ「映画とはフィルム撮影し上映するものである」という状況に揺るぎはなく、技術的側面はどうあれ、映画はある種の敬意をもって制作された特別な何かであるという認識に揺るぎはないからだ。

 しかしその技術的側面の垣根は確実に低くなっていく、それが押しとどめようのない流れでるあることは確かだ、映画の定義が精神論でしかなくなっていくというのは考えてみれば危うい話ではある、いつの日か我々は本気で考えねばならない時が来るだろう「映画の本質っていったいなんなんだ?」と。


2002年11月20日掲載

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