* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number


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何のへんてつもないこの写真も・・


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偽フレアひとつでこのとおりありがちな写真に(ってダメじゃん)




Roll 60 想像を超えた映像

 実写映画では排除の対象になる「ハレーション」もアニメーション作品ではわざと描き込むことがあると前回書いた。

 アニメーションは実写映画と違ってあって欲しくないものは描かなければいいし、欲しいものは何でも描けばいい、天国?
 いや、ここには落とし穴もある、想像出来ないものは描けないということだ。

「人の想像力には限りがない」などとよく言われるが、修辞はともかくとして個人の想像力には限りがある。アニメーションにおいては演出家にとって「思いもよらない効果」ということはあり得ないし、見たこともない景色を描くことは出来ても「想像を超えた」景色を描くことは出来ない。

 実写映画の操演的側面に関して言えば、たとえば爆発シーンの撮影において操演技師は監督とよく打ち合わせをして演出意図を理解し、理想的な破壊が起こるようにセッティングをするわけだが炎の形、煙の動き、破片の形やその飛び散り方などの細部までコントロール出来るはずもない。
「打ち合わせのようにいくかね?」と聞かれれば「いくための努力はしたけれどやってみなくちゃわからないよ」と私は答えるしかない、最後は神頼みなのだ。
 監督の希望が針の穴を通すような難しいものである場合、描きゃいいアニメは楽だよな〜などとも思う。

 そして結果が「思ったとおりだ!」なんてことはめったにない。

 しかしそれが失敗だということではない、もちろん「思ったようでなかった」ことがバレもの(見えてはいけないもの)が見えたとか、単に迫力不足であるとかの失敗なこともあるが、思いもよらない効果が出て「想像以上に良かった」ということも稀ではないからだ。
 これはアニメーションではあり得ない、アニメといえど演出家の意図通りにならぬ部分はあるだろうが、それは実写と比べると極めて少なく、爆発なら炎でも煙でも破片でも自在にコントロール出来るはずだ、しかし「思ったとおり」の事柄からは一歩も出られない。

 偶然にも炎が生あるもののごとくに断末魔の様相を呈していた、とか、たまさかカメラ前に飛んできた破片がこれ以上もないほど良い芝居してくれた、なんてことはない。

 つまりアニメーションの場合、演出家の限界が作品の限界になりやすいということだ。
限界を超えるにはその予定調和を壊す外部の力が必要なのだが・・・という話を次回にしたいと思う。

(次回「滅びの道」)


2002年12月25日掲載

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