写真
---> 拡大表示

善後策を練る雨中の監督とカメラマン
(本文とは無関係な映画です)


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 62 瞬発力

 アニメーションにおける限界を超えるにはその予定調和を壊す外部の力が必要なのだ、という話を前回した。実写映画の制作は逆にその外部の力に対抗する力量を測られるものだと言える。

 そもそも実写映画では無いものは写せない。「こんな風貌の役者が欲しい」と言っても居なければ出せない(いいのが居ましたぜといっても起用したところが大根だった日には目も当てられない)
 先日、戦後の焼け跡で野球を始めた子供たちというTVドラマをやっていたが背景が整備された公園で興ざめだった、木造校舎が消え去れば「二十四の瞳」のリメイクは難しくなるだろう。
 しかし、こういう前もってわかる制約/限界は「まだまし」と言える。

 「このシーンは晴れなきゃダメ」とは言いつつも当日曇りだからといって撮影を中止出来るほど余裕のある映画はめったに(ほとんど)ない。
 だから監督は現実に柔軟に対応していく才能がもとめられる、晴れなきゃダメのシーンが雨になっても撮影を進めなくてはならないことだってあるのだ。
 だから状況が変わった途端に破綻してしまうような人間は監督として失格である、アクシデントを乗り越え、むしろその状況を利用してより良い映画を撮る力、これを瞬発力と言うが、瞬発力のある監督にしか良い映画を撮ることは出来ない、これがアニメーションやあるいは舞台演出家と違うところだ、どんな良いアイディアでも後知恵ではダメなのだ。


『明日は夏のシーン。晴れてくれることを祈る。
 十二月三日 小雨、小雨で冷え込み激しく最悪の条件となった。(中略)やむなく芝居を廊下の中に限定する。こんなことで演技やカット割りが影響されていることなど世の評論家達はよもや知るまい』
※「マルサの女」日記(文藝春秋)

(次回は瞬発力だけではダメという話「緊急潜行」)


2003年01月15日掲載

<--Back     Next-->



Webmaster :
ammo@tokyo.fujifilm.co.jp
Copyright :
マカロニ・アンモナイト編集部