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One year later


* 週刊フォトエッセイ*

「今日もカメラは回る」

  文・写真/根岸泉 --->Back Number 




Roll 70 下駄

「ノッティングヒルの恋人」における「大通りを歩いてゆくうちに一年が過ぎてしまった男」という表現は、あっという間に、夢のうちに時間が過ぎてしまった、という(映像的な)比喩だが、これの元ネタというものがあるように思える、それは黒沢明の処女作「姿三四郎」(1943年)だ。

 柔術家として身を立てようと志す三四郎は始めに町場の道場に身を寄せる、そこには各派の格闘家が集まり、新興勢力であり彼らの目の上のたんこぶである修道館の柔道家、矢野正五郎を闇討ちしようと相談している。

 闇討ちにつきあった三四郎は並み居る豪傑をのこらず投げ飛ばす正五郎に心酔。その場で弟子入りを志願して、逃げてしまった車屋のかわりに正五郎の車を引くのだが、その際履いていた下駄を投げ捨てるのだ。

 それは書生気分だった自分への決別の印であり、柔術家として生きる決心の現れであるわけだが、そこでシーンが変わりその捨てられた下駄のアップのカットが6つ入る。

 始めは人混みの中、泥だらけになって転がっているゲタ、天水桶のそばで雨にうたれるゲタ、ゲタにじゃれつく犬、どこかのお屋敷の囲いにひっかかっているゲタとそれに降りかかる雪、次が川の中で杭にひっかかっているゲタと周りを流れ去る桜の花びら、最後がやはり河で、大きな河の中ほどをゲタは流れていくのだが、カメラがゲタから離れて上にパンすると、それに夏祭りのタイコの音がかぶってきてにぎやかな花街へ、とそこでなにやらの騒ぎが起こっていると見るや、すっかりと腕の上がった三四郎が多勢を相手に大げんかの真っ最中である・・と続く。

「ノッティングヒルの恋人」と違って、何かの比喩というわけではないが「そして1年」などと味気ないマネをするのを避け「四季が経めぐったのである」ということを詩的に、映画的に表現した名シーンである。
 さすがに、などと私が言うと不遜なのであるが、初監督作品にしてこれはさすがに黒沢明、ただものではなかったという事だ。

 私はSFに偏った一映画ファンであって、映画研究者でもなく映画マニアでもないのでこれが映像的な四季表現の元祖であるとは言えないが「ノッティングヒルの恋人」の制作者達がこれを見ている可能性は多いにあると思う、世界のクロサワは世界の多くの映画人のリファレンスでもあるからだ。

 映像的な時間表現、続く。


2003年03月12日掲載

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